製薬業界を知る

2017/01/25

大学で日夜研究に励んでいる学生さんにとって、大学での研究と企業での研究はどこが異なるか、具体的にイメージしにくいところではないでしょうか?
サイエンスライターである佐藤健太郎氏による連載2回目は、第1回の「製薬会社の研究所ってどんなところ?」に続き、大学と企業の差について語ってもらいます。

製薬企業の研究職を目指すみなさんに向けた連載第2回、今回は大学と企業の差について書いてみましょう。

 

大学も企業も基本は同じ

大学でも企業でも、実験操作そのものは変わるわけではありません。試薬を混ぜて反応させ、新たな化合物を合成することや、培養した細胞に化合物を振りかけ、変化を観察するといった操作は、大学であろうと企業であろうと基本的に同じです。どこで実験するにしろ、サイエンスの根本は変わりありませんから、入社したとたんに全く違うことをおこなうわけではありません。

設備の方はどうでしょうか。もちろん製薬企業は巨額の研究開発費を持っていますので、各種の高性能な分析・測定機器や高価な試薬も、比較的自由に使えるといった若干の違いはあります。とはいえ、近年の有名大学では施設の拡充に力を入れているところが多いので、一流企業に比べても、そう驚くほどの差はないと思います。

 

スピード勝負の世界

医薬研究職の世界 Vol.2 大学と企業の差01

では、異なるところは何か――ひとつは、前回も触れた通りスピード感の差です。大学での研究でも、ある分野における一番乗りを目指すことは当然あります。とはいえ、研究室によってアプローチや考え方は少しずつ異なっていますから、二番手三番手の研究も全く無価値ということはありません。しかし、特に新薬を創り出す研究においては、特許という厳然たる壁がありますので、わずかでも他社より遅れれば全ては水泡に帰します。

全く他社では研究していない完全にオリジナルの医薬を、一社だけが手がけているケースは、あまりありません。新薬研究は多くの場合、学術雑誌に掲載された論文や公開された特許、すなわち、誰でも知りうる公知の情報を元に始められます。医薬に結びつきそうな有力な研究がオープンになれば、号砲と共に走り出すランナーのように、各社が横一線で一斉にスタートを切るわけです。

このため、医薬品メーカーの研究者は一分でも先に特許を申請し、優先権を確保しようと躍起になっています。また、特許の申請書類には、作った化合物の分析結果、薬理試験の結果なども詳しく書き記す必要があるので、大量のデータを速く正確に揃えなければなりません。

筆者にも、自分たちの出願した特許が2週間差で他社に出し抜かれ、それまでの営々とした努力が全て無になった苦い記憶があります。研究者として、あれほどつらく情けない瞬間は他にありません。

スピード競争となるのは先発品メーカーばかりではなく、ジェネリック医薬の分野でも同じことです。たとえば、他社との差別化のため、より服用しやすい錠剤の成形方法など、新たな技術の開発は常に必要です。また、先発品が特許切れを迎える際には、市場を確保するために一刻も早く製品を送り出さねばなりませんから、必要な試験をおこなってデータを素早く揃えることは必須です。

 

スピードアップの工夫

医薬研究職の世界 Vol.2 大学と企業の差02

というわけで、企業の研究所では、あらゆる場面で速度を上げる工夫が尊ばれます。筆者の担当していた有機合成分野でいうなら、共通の中間体を大量に合成しておき、その末端部分に多種類のパーツをつなぐ反応を繰り返して、速く多種多様な化合物を作り出すといった工夫がそれです。

また、試薬や溶媒を精製してから反応をおこなったほうが収率が高くなることがわかっていても、あえて速度を優先し、無精製のまま反応をおこなうこともよくあります。たとえ収率が半分に下がっても、倍の量で反応を仕込んでしまえば良いという考え方です。もちろん、丁寧に精製をおこなってからのほうが良いケースもありますので、このあたりは実験者としてのセンスが問われます。

その他、測定機器などを自在に使いこなせるようになることも速度向上につながりますし、一日の実験計画の組み方でも大きな差が出ます。筆者がいた研究所はかなり広い建物でしたので、実験に必要な溶媒や試薬を集めてくる順番をあらかじめ考えておくだけでも、ずいぶん時間が節約できました。

また、企業に入ってからは、「あらゆる経費の中で、人件費が一番高い」ということを何度も聞かされました。通常、企業では一人あたりで、その給料の倍ほどの経費がかかるといわれます。ですので、たとえば試薬が高価だからといって、自分で安い試薬から合成しようなどとすると、トータルでは逆に高くついてしまうこともありえます。

 

企業には明確なゴールがある

一方、研究者としての大方針、心構えなどの面でも、企業と大学は異なります。大学での研究は、研究者の興味を元にテーマが設定され、面白い偶然の発見があれば、そちらに方向を転換することもありえます。しかし、製薬企業では「医薬を世に送り出す」という揺るぎのない方針があり、全ての努力はこのために振り向けられます。研究の途中、いくら学問的に面白い現象が見つかったとしても、そちらを追いかけることは、やはりできません。

企業での研究は、多くの部門のさまざまなバックグラウンドを持った研究者が協働し、ひとつのゴールに向けて進んでいくものです。特に創薬研究では、新薬が世に出るまでに10年、15年という時間がかかります。そのため、どうしても自分の思った方向に、自分の考えで研究を進めたいという人、早く結果を求めたいという人には、企業よりも大学での研究が向いているといえるでしょう。

企業では、基本的に会社から与えられた範囲の研究に取り組まねばなりません。自分の新しいアイディアに基づく研究が全くできないわけではありませんが、成功の見通しなどをしっかりプレゼンテーションして周囲の了承を得るなど、それなりの壁を乗り越える必要はあります。

また、研究成果を論文として発表することも、やはり企業では自由にはできません。企業としては特許を取得し、他社に対する優先権を確保することが第一ですので、論文という形で情報を無制限に公開するわけにはいかないのです。会社の方針にもよりますが、特許成立から数年が経過し、公開しても問題ない状態になってからでないと、論文化はできないところが多いと思います。

かといって、企業での研究がつまらないかといえば、決してそんなことはありません。製品を世に出すという最終ゴールは遠いですが、その過程の中で多くの喜びがあります。自分の仮説が当たって優れた化合物を作り出せた時や、自ら作り出した化合物が試験を突破して次のステージに上がる時など、飛び上がるほど嬉しいことを、筆者自身は何度も経験しました。

何より医薬品は、患者の苦しみを救い、和らげる力を持つ製品です。実験が好きであり、自分の研究能力を社会に役立てたいと思う人にとっては、医薬品研究者は極めて魅力的な選択肢の一つに違いないでしょう。

 

※本記事は筆者個人の経験を基にしたものであり、運営元の意見を代表するものではありません。

 

次の記事はこちら:
創薬研究の過程、その長い道のりとは 『医薬品クライシス』著者・佐藤健太郎氏が語る、医薬研究職の世界 Vol.3

前の記事はこちら:
製薬会社の研究所ってどんなところ?『医薬品クライシス』著者・佐藤健太郎氏が語る、医薬研究職の世界 Vol.1

製薬業界・超入門
タグ一覧 新薬 研究職 製薬業界
記事一覧へ
佐藤 健太郎

1970(昭和45)年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院卒業後、国内製薬メーカー研究職として勤める傍ら、有機化学について広く世間に興味を持ってもらいたいとの思いから1998年にウェブサイト『有機化学美術館』を開設。2007年末、ライターとしての活動に専念するため勤めていた企業を退職。2009年から2012年4月まで東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教。現在、化学・医薬を専門分野とするフリーサイエンスライターとして活動中。著書に『医薬品クライシス 78兆円市場の激震』 新潮社(2010年)、『世界史を変えた薬』 講談社(2015年)、『医薬品とノーベル賞 がん治療薬は受賞できるのか?』 角川新書(2016年)、他多数。

関連記事