スキルを磨く

2021/03/30

人気の認知科学のトピックをお届けします。前回の記事に引き続き、ご寄稿いただいたのは青山学院大学・鈴木宏昭教授。

前回の記事はこちら
デキる人ほど危険:人の思考のクセを知って正しく考える方法
認知科学が教える、難しい課題に取り組むための2つのストラテジー

今回のテーマは、仮説を使って考えるヒトの心の働きと、そこに潜むバイアスです。ヒトのクセを知ることで、日々の思考の精度を高めることができるのではないでしょうか。
 

【鈴木教授の最新書籍】
認知バイアス 心に潜むふしぎな働き (ブルーバックス)
講談社

誰しもが日常的に経験しているであろう、なぜか誤って認識したり、いつもならするはずのなかったりする判断や行動。誰もが感じる認識のずれは、なぜ起こってしまうのか。ふつうの行動に現れる心の働きの偏り、歪みのようなものである「認知バイアス」について、わかりやすい事例を挙げてメカニズムを解説されています。

家でくつろいでいると、サイレンを鳴らした消防車が家の近くに停まっている。すると、私たちは「近くで火事だ、ヤバい」と感じるだろう。通学でいつも使う駅に行くと、ホームが人でいっぱいになっている。すると私たちは「事故で電車が遅れているのかな」と考えたりする。

このように私たちは何かを見たり、聞いたりすると、それがなぜ起きたのかを半ば自動的に考えるようになっている。つまり、ある出来事=結果を観察して、その原因を探ることが行われている。こうした思考は、因果推論とか、アブダクションと呼ばれている。この思いついた原因は、事実かどうかわからないので、仮説と言える。そういう意味で、仮説推論とも呼ばれたりする。

上に挙げたような因果推論はとても日常的で、かつとても簡単で、自動的に行われることが多い。でも、因果推論がいつでも簡単かと言えばそんなことはない。熱がなかなか下がらない、そんな時に多くの人はあれこれ考え込むと思う。もしかしたらコロナではないかと不安になったりもする。でもその原因を突き止めることは簡単ではない。ほとんどの場合、自分では解決できずに、医師、つまり専門家に尋ねることになる。

また、基本的に科学的研究というのは、ほとんどの場合、因果推論、アブダクションを含んでいる。この現象の原因は何か、つまり仮説を考えるのが科学者の仕事なのだ。そして仮説を見つけ、それを実験で検証しようとする。科学が仮説─検証のプロセスと呼ばれるのは、こうした理由からだ。残念ながら、多くの場合、その検証は失敗に終わる。そこでまた仮説を考える、その繰り返しが科学者の仕事なのだ。

 

事前確率の無視

さてこうした因果推論に関しては、私たちが陥りやすいトラップがある。それは「事前確率の無視」と呼ばれるものである。次の問題を考えてもらいたい(なお以下はドイツのマックスプランク研究所のギゲレンツァーとホッフラーゲによって行われた研究を元にしている)。

40代の女性の乳癌の比率は1%だとする(1980年台のドイツの実測値とほぼ近い数値であるが、パーセンテージは本記事のためのダミー)。乳癌を持つ人に検査(マンモグラフィー)を行なうと、80%の確率で乳癌であるという結果が出る。一方、乳癌ではない人に同じ検査を行なうと、9.6%の確率で、乳癌であるという結果(つまり偽陽性)が出る。ある40代の女性がこの検査の結果、乳癌であると診断されたが、この人が実際に乳癌である確率はどれほどか。

これがなぜ因果推論かというと、検査の「陽性という結果」から、その結果を導き出す原因を探ることが含まれているからなのだ。ここで原因とは、乳がん、あるいは検査ミス(偽陽性)ということになる。

皆さんはどのように判断しただろうか。私は講義などでこの問題を使うことがあるが、文系の人などはキョトンとした顔をすることが多い。「だって検査の精度が80%なのだから、80じゃないの、なんでそれが問題なの?」ということだと思う。ところが、実は答えは7.8%なのだ。裏を返せば、検査結果に反して、90%以上の確率で乳がんではないということになる。

この計算はベイズの定理というものを用いて行うのだが、ここでは難しい数式を用いずにこれを解説してみたい。仮に40代の女性が1000人いるとしよう。すると問題文の1行目に書かれていることから、この中の10人が乳がんになっていると考えられる。この10人に検査を行うと8人に陽性という検査結果が出る。一方、乳がんでない残りの990人にこの検査を行えば、990×9.6%でおおよそ95人が陽性と診断される。陽性者8+95の中で、本当に乳がんなのは8/(8+95)となり、計算すれば7.8%となる。

私たちの直感的な因果推論と、厳密な因果推論との食い違い、つまり私たちの判断ミスはなぜ生じるのだろうか。それは事前確率の無視に由来すると言われている(上の問題では事前確率は1%である)。検査精度(専門的には尤度と言う)が相当に高くても、事前確率がとても低ければ、検査結果の信頼性は高くならないのだ。

どうだろう、納得できただろうか。「理屈はわかるけど、納得できない。じゃあなんで検査なんかするんだ」と考える人も多いと思う。一応述べておくと、検査をしなければ1%だったのが検査をして7.8%になるということは、乳がんリスクが約8倍にもなっているのだ。そういう人たちにはさらに精度の高い検査を行い診断する必要があるのではないだろうか(実際の医療現場ではまさにそうしたことが行われており、マンモグラフィーの結果だけから手術などということはない)。

 

人の行動に関わる因果推論:欲求と意図

因果推論を用いた原因の推定は人の行動についてもむろんよく行われる。これにはいくつかの種類があるのだが、まずもっとも簡単なものから始めたい。あなたがショートケーキを食べているところに(やや変わった)父親がやってきたとする。

父:なんでショートケーキを食べているんだ。
あなた:美味しそうだったから。
父:なんで美味しそうだとショートケーキを食べるんだ。
あなた:うるさいなぁ、とにかくショートケーキを食べようと思ったの(怒)!

この対話例を出した理由は、あなたの最後の答えについて考えてみたいからなのだ。因果推論の枠組みから考えると、あなたの最後の答えはショートケーキを食べたいという「欲求」、「意図」、「意思」が原因となって、ショートケーキを食べると言う結果が生じたと見なすことになる。

これは自由意志と呼ばれている。2020年、新型肺炎によって惜しくもお亡くなりになった志村けんさんの有名なギャグに、「カラス、なぜ鳴くのぉ?」という歌に続けて、「カラスの勝手でしょう」というのがある。これは、何をするか、どんな意図を持つかは、自分の自由なのだ、つまりカラスの自由意志を意味している。

ただし自由意志については脳科学からの重大な挑戦がある。ある実験では意思を持つ瞬間と、脳の活動との間の時間を巧妙な方法で測定した(これはリベットという脳科学者による研究に基づいている)。するとある行為(任意のタイミングでのボタン押し)を行う意思が生じる0.3秒程度前に、その行為に関わる脳部位が働き始めていることがわかったのだ。

自分の意思が生じる前に脳が働くのは当たり前と考える人もいると思う。でもよく考えてみると、脳が働き始めた後に意思が生じるということは、行為の本当の原因は意思ではなく、脳が原因ということにはならないだろうか。そして私たちは、脳が下した命令に従って意思を発生させ、行為を行うという、脳の奴隷みたいな存在ということにならないだろうか。

この問題は、実験が行われて以来、いろいろな分野の人を巻き込んだ論争になっている。皆さんはどう考えるだろうか。

 

人の行動に関わる因果推論:性格、能力、知能

人の行動を説明するときに使うのは意図だけではない。その人の性格や知能をその原因とすることもよく行われていると思う。ある人がテストで赤点を取ったという結果は、その人の知能によって説明されることもある。要するに「あいつはバカだから」というやつである。レポート提出が遅れ、不可となった友人を見れば、「あいつはズボラだから」と考えたりもする。これはズボラという性格を原因として、赤点を食らうという結果を説明している。

こういう説明を行う時にも人独特のクセが現れることがある。最初の赤点の例を考えてみよう。確かにあまりパッとしない友人が赤点を取れば、「あいつバカだから」と思うことも多いだろう。しかし、自分が赤点を取った時はどうだろうか。「テストが難しかったんだ」、「あの先生、鬼だから」、「バイト続きで十分に準備ができなかったから」などと考えたりしないだろうか。

こういうのは「対応バイアス」と呼ばれている。つまり赤点の原因を推定するときに、他人のことになると、その人の知能、能力という内面的なものに原因を求めがちになるのに、自分のこととなると状況に原因を求めがちになるのだ。

赤点のようなネガティブな結果の時には確かにそうなのだが、ポジティブな結果の場合には逆になりがちになる。テストで最高点を取ったとする。それが自分であれば「やっぱ、俺ってやればできるんだよな(頭いい)」となるのに対して、他人であると「たまたま」、「ラッキーなだけ」と考えがちになる。

都合がいいように見えるが、自己の失敗を状況のせいにして、成功は逆に自分の内面に求めるというのはそれほど悪いわけではないと思う。能力や性格は簡単に変わるものではないので、失敗した時にそれを自分の能力のせいだ、性格のせいだと思い詰めてしまうと、どんどん負のスパイラルへと巻き込まれてしまう可能性が高い。一方、成功したときにそれを自分の内面に求めるというのは、「自分はできるのだ」という有能感を生み出す。これは自己効力感(self-efficacy)にもつながり、その後の生活での活力につながる。ただ他人の失敗をその人の内面だけに求めることはやめた方が良いと思う。思いやりというのは、そういうことをしない態度のことなのだ。

 

人の行動に関わる因果推論:仲間、集団

さて行動の原因を探るのは、その行動を起こした人だけにはとどまらないこともある。たとえば赤点を取った子供の親は、「うちの子は努力が足りないだけなのです」と、担任に訴えたりするのではないだろうか。一方、最高点を取った時には、「やっぱりうちの息子だから」と考えたりするのではないだろうか。これは、自分ではなく、自分の身内にまで対応バイアスを拡張していることを示している。

これがさらに広がると、家族を超えて、所属集団、出身地、国籍、人種などへと広がることもある。これは大変にまずい事態になることが多い。なぜならば根拠なき自尊心と差別を生み出す可能性があるからだ。オリンピックで日本のチームが勝つと、それは日本人だからなのだと思うが、予選敗退した場合には準備不足、悪天候、相手の体が大きいなどということを原因だと考える。外国人の活躍はどうだろうか。まさにその逆に捉える人たちが一定数(数多く?)いるように思える。彼らの勝利には個人の努力と才能、敗北には国民性のようなものを考えたりしないだろうか。これは対応バイアスが国や国籍にまで広がったものと考えることができる。これは完璧に偏見と差別に繋がる危うい思考である。そして、とても残念なことに、一部のメディアはそうした私たちの因果推論のバイアスを助長しているかのように思える。

こうしたバイアスの背後には、「心理学的本質主義(あるいは単に本質主義)」と呼ばれるものが関係している。詳しい話はまた別の機会にするが、要するにある集団というのはその集団の本質を共有しているという信念を指す。そしてその本質を、その集団のメンバーの行う行動の原因と見なすのである。国籍は何か、どこの地域の出身か、どの大学を卒業したか、どこに住んでいるか、どの会社に勤めているか、どんな職種なのか、そうしたことにあてにならない本質を勝手に見出して、「だからあいつは◯◯◯なのだ」と断じたりする。

あてにならないと言ったのは、そのサンプルが少なすぎることがほとんどだからだ。私の時代の人たちは「イギリス人はジェントルマン」というような心理学的本質主義を持っている人が一定数いる。しかしそう思う人はイギリス人の友人が何人いるのだろうか。東大生とか、弁護士というと頭がいいと思うかもしれない。でも東大生、弁護士をたくさん知っている人は一般社会にどれほどいるのだろうか。イタリア人は陽気、アメリカ人は自由奔放、そんなことを思っている人たちに、どれほどその国の友人、知り合いがいるのだろうか。

女性はみんな「話が長い」などとひとくくりにしてしまうようなおじさんは、この本質主義を代表する例だ。女の人がみんなそうであるはずはない(水を向けても何も話してくれない女性もたくさんいるでしょう)。だが、わずかな、しかし印象的な体験から、「女性の本質」を引き出してしまい、こうした軽率な発言をしてしまう。もっとも軽率な発言の多い人のいる会議では、会議を長引かせてしっかりと議論することが個人的には必要だと思うので(これもバイアスかもしれないが、笑)、もし本当に会議が長引いたのであれば、少なくとも第三者的視点から考えれば、軽率なおじさんが場を取り仕切ってしまうような会の参加者の合理的な姿を示したとも言えるのでは、というのが私の考えではあるが。

 

まとめ

人は何かの原因を探る生き物だ。それは私たちのかしこさの証でもある。失敗をした時にその原因を考え、その原因を避けるようにしよう、成功した時には同じ原因を作り出すように努力する。これがなければ、人の成長はない。そういう意味で、因果推論、アブダクション、仮説推論は人の生活を根源で支える心の働きなのだ。

ただしこれまで述べてきたように、原因追求を行う私たちの心にはさまざまなバイアス、すなわち事前確率の無視、対応バイアス、心理学的本質主義、が絡むことがほとんどだ。こうしたバイアスを克服することは容易ではない。ただ重大な意思決定の時に、一つの原因、仮説にしがみつくのではなく、それを客観的に検証すること、他の原因の可能性を考えてみることは欠かせない。

 

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※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。
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鈴木宏昭

1958年生まれ。東京大学大学院単位取得退学。博士(教育学)。東京工業大学助手、エジンバラ大学客員研究員を経て、現在青山学院大学教授。認知科学が研究領域であり、特に思考、学習における創発過程の研究を行っている。日本認知科学会、人工知能学会、日本心理学会、Cognitive Science Society各会員。 『教養としての認知科学』著(東京大学出版会)

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