製薬業界を知る

2018/07/18

SCIENCE SHIFTの人気記事トップ3に常にランクインしている、長尾剛司さんによる製薬業界の今後に関する記事。製薬会社への就職を検討している学生さんにとっては、業界理解を深めるのに多く役立つ内容です。今回はそこから少し視点を変え、ビッグデータ、AIといった最新技術の活用について語っていただきます。医薬品×ITの現場の真っただ中にいる筆者による、リアルな業界事情をお届けします。

これまでSCIENCE SHIFTでは、医薬品業界の基本的な内容を書かせていただきました。一方で、私のキャリア直近10年ぐらいは、医療のデータベースやシステム、データ分析ソリューションなどのIT領域にもかかわってきました。こんな縁もあり現在では、医薬品業界からIT業界に越境してしまいましたので、今回はIT業界からみた医薬品業界を語ってみたいと思います。

 

AIはSFの世界か、それとも流行語か

2018年6月現在、新聞やインターネットニュースでは、「人工知能(Artificial Intelligence)」や、「拡張知能(Augmented Intelligence )」と呼ばれるAIについての記事を見ない日はありません。遠い未来と思われたSF(Science Fiction)の世界が訪れるのか、それとも単なる流行語で終わるのか気になるところではないでしょうか。AI化の必要条件として、多種多様で大量のデータが必要です。医薬品業界には、以下のように多種多様なデータが存在するため、AI化するにはとてもいい条件がそろっている業界であると言えます。

図表1:医薬品業界で扱われるデータ
図表1:医薬品業界で扱われるデータ

「製薬業界・“超”入門」でも記述しましたが、医薬品とは“モノ”としての役割と“情報”として役割を併せ持ったものです。医薬品そのものが持っている情報に加えて、医薬品周辺にも多くの情報があり、製薬業界相関図の中の、各ステークホルダーがこの情報をそれぞれに保有している状態です。今までは、技術的にも大量のデータを扱うのが困難でしたが、現在はこれらのデータを組み合わせ、AI化が可能になったと言えます。

しかしながら、AI化に着手するためには、超えなければならない壁が2つあると考えています。

 

データの過小評価の壁

「うちのデータは、使いものにならないよ」。

確かにデータには、それぞれの利用目的に合わせた設計があります。

図表2:取り扱いデータと、その利用目的
図表2:取り扱いデータと、その利用目的

当初の利用目的を超えるデータ構造やシステムの設計思想となっていないため、その他の利用に対して使いづらいという背景もありますが、法的にクリアした状態でどのように使っていいのかわからないということもあります。特に医療周辺データは個人情報を含むため、個人情報の保護をしながら、データ解析によりあらたな価値が生まれるなんて、どのようにしたらいいか難しいかもしれません。

また、きれいに整備されたデータがあればAI化には良い条件なのですが、データが整備されていないことや、データ共通フォーマットのような標準化も進んでいないことから、保有しているのは役に立たないデータ群と思われていることもあります。しかし実際には、玉石混交なデータだとしても、単に大量であることが望ましいこともあります。

一方で、自社保有データだけで何らかの価値が出ないと考えられているケースも多いです。その場合は、社外にある政府系オープンデータや、各団体が公表している統計データ、論文も含めさまざまなデータを使用することで、新しい価値を見つけるきっかけになります。

 

データの過大評価の壁

「これだけデータを持っているから、すごい価値がある」。

確かに、価値が高いかもしれません。しかし、社外のシステムを使用している場合、真の意味で自社が保有していないこともあり、なかなか自由に使えないということもあります。また、データが物理的に散在しており、集約するためにはネットワークを構築して、タイムリーに伝送する仕組みから作る必要な場合もあります。

一方で、データを見てみると、作業者の手入力のため抜け漏れや、表記のゆれなどもあり、ふたをあけてみたら、使えるデータの量は想定よりも少ないこともあります。

まずは、保有しているデータを使いこなすには、ひと工夫が必要なことも多いのです。ひと工夫といっても簡単ではなく、上記にもありますように、データを保有する社外のシステム会社と交渉から開始することや、散在するデータを集約化するためのセキュアなネットワーク構築に加え、データを集積するストレージの整備に費用(投資)がかかります。

データから価値を出すためには、社外のデータとの連携も必要になってきます。その場合、データをつなぐためのマスタを整備することや、必要な社外データが有償の場合、購入する手続きも必要な場合もあります。データがあっても、求める価値を出すためには、下準備に時間とお金がかかるのです。この時点であきらめてしまうケースも少なくありません。

過小評価と過大評価。この矛盾する2つの壁を乗り越えた時、AI化に着手することが可能になります。

 

壁を乗り越えた先にあるAI……効率化とイノベーション

壁を乗り越えた先にあるAI……効率化とイノベーション

AIと聞くと、まず思いつくのは「人の仕事を奪うのではないか」と、過剰な脅威論が先行しているかもしれませんが、私が実際の現場で感じるのは、あくまでも「人を補助する」ものでしかないと考えています。

2018年6月現在、AI化の方向性には「効率化・生産性向上」と「今までできなかったことの実現」の、大きくわけて2つあります。

①効率化・生産性向上━━コールセンター応答自動化、MRの営業支援

まず、業務フローの可視化から行います。つまり、どのような手順で業務を行い、どこで人は確認や判断し、どのように次に流れるか、といったことを見える化しなければなりません。単純な確認や判断であれば自動化することで効率化をはかれますし、難しい確認や判断であれば、その補助のために機械が何をすればいいかを見分けることができません。

技術的な難易度に違いはあるものの、いつも同じ作業をするルーティンワークのようなものは機械にまかせ、その空いた時間で人は生産性の高い仕事を行うことができるようになるのが、最初の目的です。

例えば、お客さまからのお問い合わせに回答するようなコールセンター業務は、AI化が始まっています。ある質問に対し決められた回答があり、過去のQ&Aを参照し回答する業務であれば、自動化することができます。また、複雑な質問や過去に事例がない質問の場合は、自動的に切り分けてリアルタイムに人につなぎ、通常どおりオペレーターが回答するようなことも可能です。

MRの営業支援のAI化も始まっています。
今までのMR活動は、個人の主観によるものが多かったと思いますが、社内外のあらゆるデータを利用し、どのような活動を行っているのか共有することができたり、担当医師の処方動向の変化など何らかのきざしを察知したり、自分が今何をすべきか客観的に可視化することができます。

MRの仕事は、「人」で成り立っています。言い換えると、それが良い方向にも悪い方向にも転がることがあり得る、ということです。しかしAIは人と違い、気分の起伏や好き嫌いなど感情に左右されないのが特徴です。この特徴を利用し、そのMR個人の性格や心理状態も分類し、そのMR個人のスキル・能力に合わせて、最適なアクションをアドバイスすることも可能になっています。人の相性も最適にマッチングも可能になりますから、営業チームの編成や担当エリア内の医療従事者との相性も踏まえ、双方にとってよりよい関係構築をAIが支援する時代になっていくと思います。

 

②今までできなかったことの実現━━大量の論文読み込み、画像診断支援

「数十年分の数千万本の論文を読み、何らかの関係性を瞬時に見いだす」。

人が、論文を読むスピードにも限界があると思います。人が行うには、実質的に不可能なことが可能になっています。膨大な論文を読み込ませたAIが、疾患と遺伝子のつながりや、候補物質と遺伝子の関連性を可視化できるようになっています。新規創薬標的遺伝子の探索や、ドラッグ・リポジショニング(リパーパシング)として医薬品の価値を再開発する事例も出てきています。

また、医療現場において画像診断を支援するAIは加速しています。過去にある疾患と診断した画像データを教師データとして機械的に学習させることで、新規の画像を入力データとして、その疾患の可能性を表示することができるようになっています。膨大な画像データから、疾患を特定していくまでの時間工数を減らすことにもつながります。

さらに、電子カルテや検査データを加えることで精度が高まり、医師の診断支援につながるばかりか、最適な治療薬を選択することも可能になり、AIは医師の処方も支援することになるでしょう。

 

※このサイトの掲載内容は、私個人の見解であり、必ずしも所属する組織の立場、戦略、意見を代表するものではありません。また、2018年6月現在の情報にもとづき記述しています。
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長尾 剛司

日本アイ・ビー・エム株式会社 グローバル・ビジネス・サービス ヘルスケア&ライフサイエンス所属。 1972年生まれ、薬剤師、北里大学薬友会理事。 北里大学薬学部卒業後、第一製薬(現第一三共株式会社)入社。MRを経て、マーケティング企画業務部門にて市場分析、販売促進、施策管理に従事。 日本調剤株式会社へ転じ、処方せんデータ分析による医薬品の効果的な薬物療法推進やQOL向上など調査・研究事業にかかわった。 その後、医療情報、テクノロジー、サービスを提供するグローバル企業にて、医療関連データの新規事業開発を担当していたが、2017年7月より日本アイ・ビー・エムにおいて、製薬や医療部門のコンサルタントとして活動を開始した。 また、学生向けの就職活動の業界研究講演や、業界エキスパートとしてアドバイスも行い、医薬品業界への橋渡しをしている。 著書:「よくわかる医薬品業界」(日本実業出版社)

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