スキルを磨く

2020/09/15

前回の記事はこちらから。
「自分だけの視点」を手に入れよう【アート思考連載:第一回】

 

私は美術大学で学び、美術教師としてこれまで中学校・高校の教壇に立ってきました。
「アートが専門です」と人にいうと、「きっと絵が上手なんでしょうね」とか「私には芸術センスがないから羨ましい」などとよくいわれます。
しかし、じつは今、アートは「画家」や「彫刻家」といったいわゆる芸術家や、「デザイナー」のようなクリエイティブな職種に就く人だけのものではなく、あらゆる分野で活躍する人たちにとっても欠かせないものになっているのです。

 

「The MFA is the New MBA」

これからのビジネスパーソンが学ぶべきことは、従来のMBA(経営学修士)ではなく、MFA(美術学修士)だ―――じつはこれ、2008年にハーバード・ビジネス・レビューに掲載された論文のタイトルです。それから12年たった今、この動きは定着してきています。もはやサイエンスを学ぶ読者のみなさんも例外ではありません。

このように、「美術はすべての人に欠かせない教科だ」という話をすると、多くの人はこう思うようです。
「たしかに、社会人の教養としてアートのことも少しは知っておかないとな。有名なアーティストの代表作ぐらいはパッと言えるようになりたい」

しかし、私が「アートが必要だ」と考える理由、また先述の「The MFA is the new MBA」という言葉の先にあるものは、「教養としてのアート」とはちょっと違っています。
実際、私が中学校・高校で行っている授業では、生徒にアート作品の「題名」やアートの「専門用語」といった知識を覚えさせることはほとんどしていません。

私の美術の授業では、アートを通して「ものごとを別の角度から見てみる」「自分の興味に目を向ける」ということをしていきます。
自分の興味や疑問に向き合い、そこから探究していく―――その過程にこそアートの本質があるのだと思っています。
(詳しくは連載第一回:『自分だけの視点』を手に入れよう【アート思考連載:第一回】

今回はサイエンスを専攻するみなさんにも、探究する美術の授業=「アート思考の授業」を少し体験してもらいたいと思います。

 

常識を覆す アート思考の特別授業

早速ですが質問です。
あなたはギターとバイオリンが描かれた次の絵を「リアルな絵だ」と思いますか?

Yes / No → それはなぜ?

パブロ・ピカソ《ギターとバイオリン》1912

いかがでしょうか。
もしも私があなたの立場でいきなりこのように聞かれたらこう答えると思います。
「絵としては嫌いじゃないけれど、『リアルかどうか』という観点で見るならもちろん『No』だ。というか、これをリアルな絵だという人がいるのか聞いてみたい。もしピカソがリアルに描こうとしてこうなったのだとしたら、とてつもない変わり者だ……」

では、続けてもう1つ質問です。卵を描いた次のデッサンはどうでしょうか。この絵はリアルに描けていると思いますか?

「こちらは、わりとリアルに描けているな」と思ってもらえるといいのですが……。じつはこれは私が描いたものです。デッサンの腕前は別として、遠近法や明暗法などを駆使して写真のように描こうとしました。

しかし、ピカソがこの「卵の絵」を見たらこう言うかもしれません。
「う~ん……果たしてこの絵はリアルなんだろうか?いや、リアルとは言い切れない」

というのも、冒頭で見た《ギターとバイオリン》という作品は、ピカソが「写真のようなリアルさ」に疑問を持ち、彼なりに「リアルさ」を追求して描いた絵だといわれているのです。
 
ふつう、私たちが「リアルな絵」というとき、この卵のデッサンのような写実的な絵を思い浮かべると思います。しかし、このような絵には盲点があるのです。
この絵だけ見た場合、描かれた卵の裏側がどうなっているのかはわかりません
私の目の前にあった卵の裏面には「イースターの卵」のように賑やかな模様が描かれていたかもしれませんし、ボコボコとした突起があったかもしれません。
もしも卵を一度も見たことがない人がこの絵を見ても、卵のリアルな姿を思い浮かべることはできないのです。

ピカソはこう考えたようです。
「写真のような絵は、1つの位置から見たものしか写し出すことができない。しかし、私たちが実際の世界でものを見るとき、1箇所から見ているようであっても、それまで様々な角度からそのものを捉えてきた経験をもとに見ているはずだ」

そこでピカソは、現実世界でものを見ている状態により近いリアルさを追求しました。そして辿り着いたのが冒頭の作品なのです。
この絵に描かれたギターとバイオリンは、1箇所からの姿ではなく、真横、斜め、後ろから見たもの、近くで見た部分、遠くから見た姿……様々な位置から捉えたものが、再構成されているのです。

 

頭と手で思考する

《ギターとバイオリン》にまつわるここまでの話を聞いてあなたはどう思いますか?
「なるほど。『リアルさ』を再定義したというピカソの話は面白いな。まあそうはいっても写真のように描けた絵のほうがよほどリアルではあるけれど」
こんなところが本音ではないでしょうか。

じつは、アート思考の授業の本番はここからはじまります。
ここまでの話を踏まえ、生徒たちは「写真のような絵」と「ピカソの多視点の絵」どちらがリアルかという二者択一ではなく、「リアルさは写実だけではないのかもしれない、では自分なりにリアルな表現をするとしたら……」と思考し、今度は自分で表現をしていきます。
つまり頭で思考した後は、手を使って思考し、自分ゴトとして捉え直すわけです。

あるとき私は、スーパーで買ってきた卵を生徒たちの机上に置き、「『卵』をリアルに表現するとしたら……?」という問いかけから授業を展開しました。
ここからは、そのときの中学生2人による「リアルさ」を巡る探究の過程を紹介します。
「アートを通して思考する」ということがどのようなことなのか、そのヒントが見つかるかもしれません。

 

答えのない問い 探究して花を

ある女子生徒はスケッチブックを広げると、真ん中に卵の絵を描きました。卵から連想するものを書き出していくことで、卵のリアルさに迫ろうとしているようです。
「鶏」「ひよこ」「目玉焼き」「卵焼き」……
書き出していくうちに、卵がいろいろな食品の中に姿を変えて隠れていることを発見したようです。
「ケーキ」「プリン」「アイスクリーム」「マヨネーズ」……

翌週の彼女のスケッチブックには、卵からは到底連想できないようなものまで書き足されていました。
「絵の具」「チョーク」「化粧品」「肥料」……

数週間後、彼女が生み出した作品がこちらです。

《生徒作品(再現)》

この作品は、正12面体の各面に、様々に姿を変えた卵が描かれています。

「丸くて白い卵」は様々な形に変身する卵の一面に過ぎないのではないか?
「いろんなものに七変化する」そのこと自体が、卵のリアルさなのではないか……?
探究の末、彼女がつくり出したこの作品は、まったく新しい視点で卵のリアルさに迫っています。

それでは、もう一人の女子生徒の場合を見てみましょう。

こちらの生徒は、ある日の授業では、「粘土」を使って丸い卵の形を再現してみたり、また別の日には「鉛筆」で卵をスケッチしてみたり、またあるときは「辞書」で卵という言葉の定義を調べたりしていました。
毎回まったく異なる手段で卵のリアルさを模索しているものの、発表日直前まで最終的な作品の形が見えていなかったようです。

しかし、そんな彼女が授業最終日に持ってきた作品がこちらです。

《生徒作品(再現)》

この作品は、卵の形をした立体に、様々な言語での「卵」という言葉が貼り付けられています。よく見ると、卵の絵も貼り付けられています。

「立体的な卵」「平面に描かれた卵」「文字で表した卵」。どれがリアルな表現なのだろうか?
 異なる言語で表された「卵」という言葉からは、同じイメージを共有できるのだろうか……?

彼女が生み出した作品は、そんな問いを投げかけているように感じられます。

いかがだったでしょうか。
アート思考とは、他の人が見向きもしないような些細なものごとに目を向けて、それをとことん探究していくプロセスです。
リアルさの表現が「写真のような写実的な絵」だけではないように、アートには「唯一の正解」というものは存在しません。しかしだからこそ、自分なりの答えをつくることができるのです。そして自分なりの答えをつくることは、冒頭で述べたように、ビジネスの世界にもつながっています。

「これが正しい」「これは常識だ」といわれている物事を、ほんの少し異なる角度から見つめ直してみること───普段の生活の中にアート思考を取り入れてみてはいかがでしょうか。

さて、あなたが卵をリアルに表現するとしたらどうするでしょうか……?

 

※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。

 

人生に、仕事に効くデザイン思考とその先のアート思考
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末永幸歩

美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト。 東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立ってきた。 「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を展開。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。 著書:『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)

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