未来を考える

2018/06/22

患者さんや一般の方から提供してもらった血液などの生体試料とカルテの情報を保管・蓄積し、新しい医療や医薬品の開発に役立てる仕組みが「バイオバンク」です。欧米はじめ国内でもいくつかの研究所や大学病院に設置されています。

なかでも2013年に京都大学医学部附属病院がんセンターに設置されたバイオバンクはユニークです。がんに特化した「キャンサーバイオバンク」で、治療前から治療中、治療後と時系列で生体試料と診療情報を集め、このビッグデータをデータベース化しています。

「キャンサーバイオバンク」の立ち上げと運営を担ってきたのが、京都大学医学部附属病院 (京大病院)腫瘍内科の武藤 学教授です。30年近く消化器のがんと闘ってきたスーパードクターであり、希少がんや難治性がんの治療技術開発に挑む研究者でもあります。

日本人の3人に1人が、がんで亡くなる時代。「キャンサーバイオバンク」の意義と、ビッグデータが医療医薬の未来をどう変えていくのか。さらに設立から5年を迎えて「キャンサーバイオバンク」がどんな発展を見せているのか。武藤教授にじっくりと語ってもらいました。

武藤学教授

取材協力:
京都大学大学院医学研究科 腫瘍薬物治療学 教授
京都大学医学部附属病院 腫瘍内科 科長
武藤 学(むとう まなぶ)氏

1991年、福島県立医科大学卒業。国立がんセンター東病院、同研究所などを経て、2007年、京都大学大学院医学研究科 消化器内科学講座准教授、2012年、腫瘍薬物治療学講座教授。国立大学で初の「がんセンター」で診療科と職種横断的ながん診療を行っている。

 

患者さん個人に最適な医療の実現を目指して

「プレシジョン・メディシン」という言葉を聞いたことがありますか?
アメリカのオバマ前大統領が一般教書演説で発表し、広く世界に知られるようになりました。日本語では高精度医療と言われ、患者さん一人ひとりに合った治療法や薬を適切に選び出して医療を行う「精密医療」のひとつです。患者さん個人に最適な治療ができれば効果が期待できるのはもちろん、合わない薬による苦しい副作用を避けることもできます。

「精密医療・患者さん個人に最適な医療の実現を目指す」武藤学教授

そして精密医療を支えるのが、遺伝子解析と情報技術の進化です。がんは遺伝子の変異によって起こることがわかってきており、これら技術を使ってがん組織の遺伝子変化を分析し、診断や治療、薬の選定に役立つ情報を取り出せるようになってきました。

こうした精密医療の実現を目指して、京大病院がんセンター内に設置したのが「キャンサーバイオバンク」です。当院で治療を受けられる患者さんがご厚意で提供してくださる血液や尿、組織などの生体試料と電子カルテの情報をバンキングしています。

例えば、同じがん種で同じ薬でも、患者さんによって効果や副作用が異なることがあります。薬がよく効いた人・効かなかった人、副作用が強い人・弱い人、放射線治療の効果もさまざまです。個人の体質も異なり、治療による影響を電子カルテの時系列情報と組み合わせ、ビッグデータとして蓄積・解析することが精密医療の開発に欠かせません。

「キャンサーバイオバンク」は、検体を提供してくださる患者さんのご厚意があって初めて成り立ちます。患者さんには事前に主治医や担当スタッフから説明をし、ご協力いただける場合は同意書にサインをしていただく仕組みをとっています。ネットワークから遮断した状態で検体を管理し、個人情報の管理も厳重に行っていることをお伝えします。

とはいえ手術前後の数回、あるいは通常診療の採血と同時に血液を採取させていただくなど、患者さんの負担はゼロではありません。それでも同意取得率は95.8%にのぼり、多くの患者さんが未来の医療のために協力をしてくださっていることに、心から感謝しています。

生体試料を「貯める」から「活用」へ発展させる

「キャンサーバイオバンク」設立から5年、集まった生体試料は約3,000例、胃がんや肺がんなどの主ながん種ではそれぞれ300例以上にのぼります。京大病院の場合は、時系列での臨床情報と紐づいているためデータ数が非常に多いこと、また現在構築されつつある国際的基準のバイオバンクの品質・精度管理に適合した管理体制のもとで検体を保管していることが特徴です。さらに検診センターの利用者のご厚意によって、医学的に健康な方の生体試料も約800例集まっています。

京大病院がんセンター キャンサーバイオバンク
京大病院がんセンター キャンサーバイオバンク サイト

バイオバンクは利活用されて始めて価値が生み出されるものです。しかし、世界のバイオバンクの利用率が数%でとどまっていると言われています。一方、「キャンサーバイオバンク」の利用率は30%を超えており、驚異的な数字だと言えるでしょう。
理想的なバイオバンクは利用率100%です。医療に貢献したい、同じ病気で苦しんでいる人の力になりたいといったみなさんの思いに応えるために、いただいた検体はすべて活用すべきだと考えています。

そこで「バンキング(貯める)」のではなく、「リソース(活用する)」へと進化させるべく、京都大学は2017年11月、医学部附属病院に「クリニカルバイオリソースセンター」を設立しました。「キャンサーバイオバンク」で培ってきた実績・ノウハウを活用し、がんだけでなく、難病や糖尿病などの生活習慣病も含め多様な疾患にまで範囲を広げた「バイオバンク」の発展型です。

さらに当センターで品質管理された生体試料と情報を、新しい薬や医療技術の開発に効率的に利用するため、2018年3月に企業7社と産学連携の新会社KBBM(Kyoto Bridge for Breakthrough Medicine)社を設立しました。
この会社がまず目指すのは、新薬開発の前に立ちはだかる「死の谷」を埋めることです。

開発費1千億円超の課題を解決し、社会に貢献したい

新薬開発に至るまでには、長く険しい道のりがあります。薬のターゲットを探し出し、そのターゲットに合うシーズとなる化合物を見つけ、細胞や動物での評価、いわゆる非臨床試験を行います。その後ようやくヒトでの臨床試験に入りますが、この間に乗り越えるのが難しい「死の谷」が横たわっています。

クリニカルバイオリソースを活用した「産」in「学」研究基盤

有望なシーズでも、新薬になるのは2万分の1から2万5千の1程度しかなく、「死の谷」を渡ってヒト臨床試験に入った化合物でも薬になるのはわずか8%。そのため新薬の開発費が1千億円以上かかるというのが世界の課題です。

最たる原因は、ヒトの臨床試験に入る前の非臨床試験の段階で、ヒト由来の生体試料での評価ができ病態を十分解明できていないことです。培養細胞やネズミでの実験のみで、ヒトの病気がどうなっているかの理解が不十分なまま開発が進んでいるからです。

さらに日本では、品質管理された患者さん由来のヒト生体試料、いわゆるバイオリソースが非常に少なく、産業利用に耐えられるバイオインフラがありません。研究者が患者さん由来のヒト生体試料にアクセスし、評価をするのが大変難しいのです。

そこで京大病院で集めた生体試料を非臨床試験の段階から研究者に使ってもらおうと、バイオリソース事業を担う新会社を設立しました。患者さん由来のヒト生体試料を保管・蓄積できる病院ならではの取り組みです。

大学病院は基本的に収益事業が認められていませんが、バイオリソース提供のインフラ整備にはコストがかかります。そこで産学連携で会社を立ち上げ生体試料を提供して研究開発事業を行い、収益の一部をこれらのインフラ整備に当てることにしました。そうすると安定的にインフラを維持管理しながら、社会貢献ができます。

医学と工学の連携がバイオバンクを可能に

このバイオリソース事業の開始を知った学内外の研究者から、私の元へたくさんのメッセージが届きました。「これまでは『自分の研究が本当に患者さんに届くのか』という不安があった。しかし今後は患者さんの検体を使った研究が可能になり、前に進める」と。

「医学と工学の連携がバイオバンクを可能に」武藤学教授

「キャンサーバイオバンク」をはじめとしたバイオリソース事業は、医学と工学のシナジー、すなわち医工連携の成果でもあります。膨大な情報を解析する情報工学の進化により実現したものです。
医学的な判断や方向付けは私たちが行いますが、膨大な情報をどう集め、どう解析するかは専門家、すなわちデータサイエンティストの力が欠かせません。

医療医薬の発展の前には、医学だけでは解決できない問題が数多くあります。社会構造の改革や規制緩和も含め、さまざまな課題に立ち向かうには、医学の力だけでは不可能です。
「患者さんのために」というゴールを目指して、多様な領域の多職種によるコミュニケーションが必要です。異分野の融合があってこそ、新しい医療が生まれてくるはずだと私は考えています。

最後に、医療医薬の世界で働きたいと考えている学生の皆さんへ、私からエールをお送りしたいと思います。
私自身の学生時代を振り返ると、部活動に忙しかったものの、いろいろなことに興味を持って取り組んでいました。医学書だけではなく、宇宙物理をはじめとしたサイエンス本に没頭し、絵を描くことも好きでした。

研修医になってから今までは、「患者さんのために」の一心で働いてきましたが、学生時代に身につけたこと、直接医学には関係しない知識や経験が仕事に役立っているなと、感じています。

ぜひ、学生時代にこそ、科学、社会、文化など幅広い分野に興味を持ち、多様な視点を身につけてください。前段でお伝えした新しい医療を生むための異分野の融合は、皆さん自身の中での異分野の融合から始まるかもしれません。

※本記事は取材により得た情報を基に構成・執筆されたものであり、運営元の意見を代表するものではありません。
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SCIENCE SHIFT編集部

当メディアの編集部員です。学生の皆さんに今お届けすべき話題は何か?を日々考え、より良い情報を発信していきたいと思います。

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