スキルを磨く

2018/12/27

今回の記事のテーマは、「どうしたら、より良く考えることができるか?」です。
そのヒントをくれたのは、青山学院大学・鈴木宏昭教授。教授の研究領域である認知科学は、ずばり「知性とは何か」という根源的な問いに答えようとする学問です。この科学的知見をもとに、私たちがどう考え、研究や就活、仕事に取り組んでいくべきかを解き明かします。
前編の今回は、誰もが逃れられない、そして「自分はしっかりしている」という人こそ知るべき、人間の思考のクセについて紹介します。

人の思考にはさまざまなクセやバイアス(bias:偏り)が入り込んでいます。これらの影響を受けて、私たちの思考は論理的、合理的な思考とは程遠いものとなってしまうことがよくあります。仕事でも研究でも就活でも、私たちがより良い意思決定、判断を下すためには、こうしたクセやバイアスをよく知り、自分の思考をチェックすることが大事です。
私の研究分野である認知科学では、こうした人のクセ、バイアスについて大量の研究が積み重ねられてきています。今回は、これらの中で、

・確証バイアス
・代表性ヒューリスティクス
・利用可能性ヒューリスティクス

の3つを紹介します。これらを知ることを通して、みなさんが自らの思考をチェックできるようになればと思っています。そのうえで、次の後編で、難しい課題にどう取り組むかというテーマを考えていきます。
なおここで「ヒューリスティクス」という言葉が使われていますが、概ねバイアス、つまり思考の偏り、といった程度に考えてください。

 

確証バイアス

このバイアスは、人は自分の信じていることが正しいケースに注目しがちで、間違っている可能性に対して目を向けない傾向を表しています。たとえば「1、3、5、7…」と続く数列があったとして、その後に続く数字を当てるゲームをします。するとほとんどの人が最初に「9」と言い、次には「11」、「13」などと続けていきます。これは「1、3、5、7」というのを見て、「これは奇数の数列だ」と考えるからです。確かにそうかもしれませんが、もしかすると、この数列は単調に増加しているだけかも知れません。だとすれば「8」とか「10」でも当たりになります。しかし奇数だと思い込むと、それに囚われて、その「自分が正しいと思ったこと」を確証することだけに焦点が当てられてしまうのです。

こうしたことは日常生活でも起こります。たとえば「第一印象」というのがあります。皆さんは面接などのトレーニングで「第一印象が大事だから」と何度も言われてきていると思います。これはまさにその通りです。この人はいい感じの人だと思うと、その信念を確証することに注意が向けられます。たまに変なことをしても、「そんなこともあるのか」と対して気に留めもしないわけです。一方、第一印象が悪いと、それを確証してくれることに目を向け、「やっぱりこいつはダメだ」という信念をどんどん強めていくのです。

私も講義をしているとそんなことがよくあります。前の方に座って一生懸命ノートを取っている学生を見れば、当然その学生の講義に参加する姿勢から評価は高くなります。するとそれ以降も、その評価を維持する方向に注意が向けられ、たまにスマホをいじっていても、「よほど大事なことなのだろう」などと勝手に納得します。一方、後ろの方に座って寝ている学生などは、講義に参加する気持ちはないのだろうとがっかりし、評価が低くなります。すると第一印象で評価を得た学生と同じようにスマホをいじっていても、「やっぱりやる気がないのかな」などと考えますし、仮に一所懸命ノートをとっている姿を見ても、「最初からその姿を見せてほしかったな」などと思ってしまいます。

第一印象は変わることもむろんあります。変わるためには、その印象を覆すことをしなければならなりません。でも、自分の信念に合わない事例には目を向けない、あるいは例外だと思って軽く流されてしまうので、覆すことは容易ではありません。これは自分が評価される場合だけでなく、自分が人を評価する場合でも同様です。自分が間違っているかもしれないという可能性を絶えず持ち続けることが、柔軟で合理的な判断の鍵となります。

 

代表性ヒューリスティクス

人は目の前のモノやコトが、何なのかということを絶えず判断しています。たとえば、目の前にあるのは、「コーヒーカップ」などという具合です。こうした心の働きは、カテゴリー化と呼ばれています。カテゴリー化がどうやって行われるのかについては、さまざまな議論がありますが、一般には「プロトタイプ」と呼ばれるものに基づくこととされています。プロトタイプとは、そのものの平均的な特徴が集約されて記憶されたものです。そして目の前のものが、このプロトタイプととても似ていればコーヒーカップらしいと思いますし、あまり似ていなければコーヒーカップらしくないというように判断します。私たちは数多くのコーヒーカップを見てきているので、平均的なコーヒーカップのプロトタイプは、さまざまなコーヒーカップの特徴をうまく要約したものとなっています。

適切なプロトタイプを作り出すためには、たくさんの事例を見る必要があります。しかし私たちは稀にしか出会わないものも数多くあります。外国人はまさにそれです。たとえばイタリア人と100人以上知り合いがいる人などは、日本においてはかなり例外的だと思います。だからある程度まで妥当なイタリア人のプロトタイプを作ることはできません。でも私たちはとても少ない事例からプロトタイプの代わりになるような代表例を勝手に築き上げてしまいます。そして、これに基づいてイタリア人っぽい、イタリア人らしくないなどの判断をしてしまいます。このような少数のサンプルから作られた代表例に基づいて判断をしてしまうのを代表性ヒューリスティクスと呼んでいます。これらは場合によっては、偏見や差別に繋がることもあり、その場合「社会的ステレオタイプ」と呼ばれたりもします。

代表性ヒューリスティクスは国だけではありません。大学などもそうです。私は現在、青山学院大学に務めており、週に1度東京大学でも教えています。みなさんはこの2つの大学に知り合いが数十人以上いるでしょうか。ほとんどいませんよね。だから適切なプロトタイプは持っていないはずです。でもある人が「青学生」、「東大生」とわかると、勝手にいろいろなことを想像したりしませんか(「おしゃれ」、「チャラい」、「真面目」、「ダサい」等々)。これも代表例から作り上げられた性質を勝手に付与している、代表性ヒューリスティクスの例となります。

昔の日本人、などというのもそうです。昔の日本人はほとんど会わないというか、会うことが不可能なケースがほとんどです。メディアなどに取り上げられるような昔の日本人は、いわゆる偉人と呼ばれる人ばかりです。歴史に名を残すような偉人は大抵立派な人ですので、昔の日本人は立派だったというような、間違ったプロトタイプが形成されてしまいます。

代表性ヒューリスティクスはカテゴリー化と深く関係していること、またカテゴリー化はそれ抜きに認識を考えられないほど本質的なものであることを考えると、この思考のバイアスから抜け出すことは容易ではありません。ただ、ある人、その所属集団について考えるときに、それはどんな例から作り上げられているのだろうか、どのくらいの数かを吟味してみることは、このヒューリスティクスがもたらすトラップから抜け出すのに有効かもしれません。

 

利用可能性ヒューリスティクス

私たちはよく起こりそうなことと、あまり起こりそうではないことを区別しています。そしてこの判断を用いて、将来の予測を行い、それに基づいて行動します。例えば、「ゼミでAくんの後だと先生が機嫌悪い時が多いから、それよりも前に発表しよう」とか、「電車の車両の後ろの方だと席が空くことが多いから、そこに乗り込もう」、といったことなどです。

こうした判断を行うためにいちいち「正」を書きながらメモしている人はいないでしょう。そこで人が使うのが利用可能性ヒューリスティクスです。言い換えれば、思い出しやすいことは、よく起きている、と判断することです。つまり「正」の字を書く代わりに、思い出しやすさを用いる、と言ってもいいでしょう。ゼミの発表のケースでも、「先月A君が発表後に先生が激怒した」とか「その前もA君の発表後に顔が厳しくなったとか」です。何度も繰り返し起きることは記憶に定着し、思い出しやすくなります。だから思い出しやすいことは、よく起きているというわけです。筋が通っていますよね。でもこれは必ずしも正しい思考ではありません。

このヒューリスティクスがひどく間違った結果をもたらすのは、出来事の情報がメディアを通して与えられる時です。メディアが報道するのは変わった出来事です。信号を守らずに交差点に突入してきた車のことは報道されるかもしれませんが、赤信号でちゃんと停車した車がいたからと言って、ニュースにする記者はいないでしょう。よく、犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになるなどと言われます。そして珍しければ珍しいほど、何度も繰り返し報道します。こうした情報に接していると、そのことは記憶に定着し、思い出しやすくなります。そうすると、利用可能性ヒューリスティクスに従って、そのとても珍しいことが頻繁に起きているような錯覚をもたらすのです。

こうしたことを考えるとき、近年とても気になるのはインターネット、特にSNSの普及です。Twitter、Facebookには日々膨大な情報が流れています。これを闇雲に読んでいくことはできないので、自分と主義や趣味の合う特定の人たちとコミュニティーのようものを作り、その中だけで情報が行き来します。こういう人たちが流す情報だけに触れていると、それが世間一般で当たり前のような気になってきます。また検索サイト自身がこうした調整を自動的に行ってしまうこともあり、これはフィルターバブルと呼ばれています。

これも他のバイアス、ヒューリスティクスと同様簡単には抜け出すことができません。なぜならいちいち出来事の発生をカウントしている暇なんてないし、思い出しやすいことはよく出会っている確率は低くないからでもあります。ただ大事な場面では、起こりやすさの判断の根拠となるデータに当たってみる、そしてそれはどこから得られたものなのかをチェックする必要はあるでしょう。

 

「負の思考スパイラル」に陥らないために

今回は確証バイアス、代表性ヒューリスティクス、利用可能性ヒューリスティクスの3つを紹介しました。いずれも暗い話なのですが、これが組み合わさるともっとひどいことも起きます。代表性ヒューリスティクスによって不適切な代表例を作り出したとします。すると、確証バイアスによりそういうことを確証するような事例に注意が向けられます。その結果、そうした事柄だけが記憶に定着して思い出しやすくなり、結果としてその事柄だけが起きているということになります。これによって代表例のもつ性質がさらに強化されます。これはまさに負の思考スパイラルです。

これらのバイアスやヒューリスティクスは、あらかじめ人間に備わったメカニズムと言うこともできます。ゆえにここから抜け出すことは容易ではありませんが、少なくとも重要な判断、決定をする際には、

・自分の信念の反例にも目を向ける、
・信念の例はどれほどあるのか、
・またそれはどこから得られたのか、

に注意してみることが大事です。

研究はもちろん、就活でも、また社会人になってからでも、例に挙げたような、人のメカニズムにとって間違いやすい課題に直面することがあるはずです。社会人になってからは、特にこうした課題が多くなるかもしれません。環境に流されずに、しっかりと自分の頭で考え、成果を出していくには、こうした人の思考のクセをチェックする態度が重要なのではないかと思います。ぜひ普段の学生生活のなかから、こうしたことを考えてみることをおすすめします。

※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。
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鈴木宏昭

1958年生まれ。東京大学大学院単位取得退学。博士(教育学)。東京工業大学助手、エジンバラ大学客員研究員を経て、現在青山学院大学教授。認知科学が研究領域であり、特に思考、学習における創発過程の研究を行っている。日本認知科学会、人工知能学会、日本心理学会、Cognitive Science Society各会員。 『教養としての認知科学』著(東京大学出版会)

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