未来を考える

2021/06/18

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海の中から新しい薬品資源を見つけ出す。|SDGsに取り組む北海道大学大学院 薬学研究院の挑戦【前編】

 

取材協力:
北海道大学 大学院薬学研究院 教授
脇本 敏幸さん
東京大学大学院農学生命科学研究科出身。海洋生物活性天然物の探索に関する研究を専門としている。

 

なぜウミウシが海綿を食べるのか?「地球環境への関心」

 

 海洋生物から人に役立つ医薬品の原料となる物質を探る脇本教授に、この研究に取り組むことになったきっかけを聞くと、「学生時代から抱いていた、地球環境への関心が根底にあります」と答えが返ってきた。

「高校生の頃から生態学やエコロジーに興味があって、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』など環境問題を取り上げた本に感銘を受けていました。それで大学では、環境保全分野の研究をしようと考えたのです。ところが今の若い人には想像できないと思いますが、私が高校生だった90年代初頭は、日本の大学で『環境』と名がつく学部を持っているところはほとんどありませんでした。」

 環境や生態学について学べる学部を探すなかで最終的に選んだのが、環境分野を含めた多様な研究ができそうな東京大学の農学部だった。その選択は脇本教授にとって、正しいものだった。入学後、ある授業で聞いた話が、脇本教授の心を捉えたのだ。

「水産についての授業で、『海の中の生き物は、物質を交換することによってコミュニケーションしている』という話を聞いたのが、この研究の道に進む最初のきっかけでした。『ケミカルコミュニケーション』と呼ばれますが、海の生き物の多くは毒や防御のための低分子物質を体内で作り、それを放出して、食べさせることで天敵をやっつけたり、フェロモンとして出すことで仲間を集めたりしています。目に見えない大きさの物質による生物同士のコミュニケーションが、種を超えて生態系を作っていることが、とても面白く感じた。それまで生物がそのようなやり取りをしているとはまったく知らなかったので、『生態系の保全を考えるなら、このことを学ぶ必要がある』と思ったのですね」

 SDGsの目標14「海の豊かさを守ろう」では、魚の乱獲やプラスチックごみ等の廃棄によってダメージが蓄積された世界の海洋を守っていくことが目標に掲げられている。その実践のためには、海洋生物を含めた海中の物質循環の全容を明らかにしていくことが求められる。脇本教授は海洋生物のケミカルコミュニケーションの一例として、こんな話もしてくれた。

「海綿動物の多くは他の生物にとっての毒となる化学防御物質を作っているため、海綿を食べる生物は海洋中にほとんどいません。しかしウミウシは、海綿を食べるのです。ウミウシも面白い生き物で、もともとは巻き貝の仲間ですが、進化のなかで貝殻を捨てて、生身で生きています。柔らかいのですぐに魚などに食べられそうですが、海綿の毒を生体濃縮して自分の体に溜め込んでいるので、魚も食べないのです。ウミウシは岩に花びらのような卵を産み付けますが、それにも毒が濃縮されているので、外敵からほとんど食べられません。」

 どんな生物もみな必死に生きているがゆえに、体内で作られ、外部に放出される物質は必ず役割を持っていると脇本教授は断言する。ケミカルコミュニケーションに対する興味は、今の研究を根底で支えるモチベーションにもつながっている。

「生き物が無駄にエネルギーを使って、趣味で物質を合成するわけがないのです。しかし生態系のなかで、その物質がどんな意味を持っているのか、すぐにはわかりません。人類は、海洋の中で日々生き物たちが繰り広げているケミカルコミュニケーションの、ほんのごく一部しかまだ理解できていないのです。その意味を発見することが、僕らの仕事だと思っています。人間にとって薬になりうる物質が発見できれば一番いいですが、薬にならなくても、意味を見出すことが非常に面白い。そこにいちばん、この研究の魅力を感じますね。」

 

天然物化学に期待される「新しい抗生物質」と「抗がん剤」

 

 天然物化学の手法によって開発される薬の分野で、いま、世界的に期待されているのが「新しい抗生物質」と「抗がん剤」である。人類が生み出した抗生物質はこれまでに数え切れない人の生命を救ってきたが、一方でそれに耐える薬剤耐性菌もたくさん生み出すことになった。新しく生まれる耐性菌によって、病院などにおける院内感染も広がっており、耐性菌にも効く新たな抗生物質が世界中で待ち望まれているのだ。

「最近では、耐性菌に対する『最後の砦』と言われたバンコマイシンという薬にも、耐性を持つ菌が発見されています。新しい作用機序を持つ抗生物質の発見が、医療全体の喫緊の課題となっているのです。また抗がん剤も、これまで見つかったものの多くは天然物を原料としています。抗生物質と抗がん剤は、人工的に合成しにくい分野の薬なのです。最近では新しい構造や作用を有する抗生物質、抗がん剤の候補が見つかると、即座に『ネイチャー』『サイエンス』という一流の科学雑誌に論文が載ります。それぐらい、期待されているということです。」

 さらに脇本教授は、天然物化学には薬作りの手法そのものを大きく更新できるポテンシャルがあると語る。

「たとえばある植物から取れるマラリアによく効く薬があるのですが、その薬をグローバルマーケットに十分な量を提供するためには、とんでもない量の植物を育てる必要があります。植物を育てるには土地も肥料も必要ですし、農作業に人手もいるので、コスト的に見合わないのですね。マラリアという病気は主に熱帯地域の発展途上国で流行っているので、薬価が高くなる生産手法はとれません。有効成分を有機合成でつくる方法もあるのですが、その原料には石油が必要なので、やはり環境に大きな負荷がかかってしまう。しかし植物から成分を作る遺伝子をとってきて、酵母や大腸菌に組み込めば、一つの培養タンクで大量に生産することができます。製薬メーカーにとっても、その技術が実現できれば、とてつもない利益を生み出す可能性がある。実際にいま、欧米を中心に世界中の製薬メーカーが既存の抗がん剤などを酵母で作り出す研究を始めています。」

 

天然物の創薬は、製薬業界のSDGs推進にも役立つ

 

 そうした薬品づくりがメジャーなものとなれば、製薬業界全体が環境に与える負荷も大きく低減されることになる。いま世界では、誰ひとり取り残さないことを目指し、国際社会が一丸となって達成すべき目標で構成されたSDGs(持続可能な開発目標)に基づく産業活動を行っていくことが、官民挙げての大きな方針となっている。

「海の生き物たちの間で行われるケミカルコミュニケーションを理解し、環境に負荷をなるべく与えないかたちで天然物を薬に用いるこの研究は、製薬業界のSDGs推進にも大きく役立つはずです」

 と脇本教授は言う。
 脇本教授は2014年、伊豆沖に住む海綿から、「カリキュリンA」という細胞毒性物質を生み出すバクテリアを同定することに成功した。世界で初めてのその発見は学界でも高く評価され、化学と生物学に関するトップ科学誌として知られる「ネイチャーケミカルバイオロジー」に論文が掲載された。その研究がスタートしたのは2010年、実を結ぶまでには4年の歳月がかかった。取材の最後に「研究を進めるなかで、いつも念頭に置いていることはありますか」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「可能性が低くても、この先に何か『宝』があると信じられるのであれば、『やってみよう』と決断することです。実際にネイチャーケミカルバイオロジーに載った研究も、最初は上手くいくかどうかまったくわからなかった。海綿に医薬品候補物質を生み出すバクテリアがいることは、世界の研究者みんなが知っていましたが、10年かけても見つからない可能性は十分あった。そんなリスクの高い研究には、誰も取り組もうとしなかったのです。しかしだからこそ、自分がやる意味があると思えました。これからも多くの研究者が取り組んでいるテーマの中で競争するのではなく、自分だからこそアドバンテージがある研究に、挑んでいきたいと思っています。」

 古来から人類が続けてきた、自然の中から薬品の材料を探し出すという取り組み。脇本教授は最新の科学の知見を活かして、その取り組みに新たな角度から光を当てる。人類全体に貢献する「宝」を見つけ出すことを目指して――。
※本記事は取材により得た情報を基に構成・執筆されたものであり、運営元の意見を代表するものではありません。
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大越裕

1974年生まれ、神戸市在住。理系ライター集団「チーム・パスカル」所属。 大学卒業後、広告・マーケティングの専門出版社で編集・ライター養成講座の立ち上げと運営を担当。 4年間単行本の編集に従事した後、2011年独立。 現在は主にビジネス・サイエンス領域の記事をさまざまな媒体に執筆する。

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