東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜「幅の広い指示語」を理解する【相澤理氏連載:第二回】

『東大のディープな日本史』や、『「最速で考える力」を東大の現代文で手に入れる』の著者・相澤理さんによる東大現代文連載。
第二回は、東大「現代文」で実際に出題された問題を題材にした、実践的な内容でお届けします。

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東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜知識を身につけ本をきちんと読む方法【相澤理氏連載:第一回】

〈幅の広い指示語〉は、要点をまとめる言葉の〈サイン〉

前回は、文章を読んでいくうえで大切なのは、書き手が読み手に対して送る言葉の〈サイン〉に着目して、〈大事なところ〉を押さえることである、というお話をしました。今回は、その言葉の〈サイン〉の中でも最も出現頻度の高い、〈幅の広い指示語〉について、東大「現代文」の問題を題材として解説していきたいと思います。

さて、皆さんはこれまで学校の国語の授業で、「指示語の受ける内容を押さえながら文章を読みなさい。」と言われてきたのではないでしょうか。もちろん、どんな指示語も文と文のつながりを捉えるうえで重要ですが、その中でも、文章の要点を示す〈サイン〉の働きをするのが、私が〈幅の広い指示語〉と呼んでいるものです。

例文を見ていただきましょう。この中に〈幅広い指示語〉は2つあります。

 

  1. これは私が小学生だった頃の写真です。
  2. この道をまっすぐ行くと駅に着きます。
  3. こういう単純なやり方では、最初は上手くいっても長続きしない。
  4. このように、学校では教育ICTが積極的に導入されているが、それをいかに活用するかが課題となっている。

 

①の「これ」は「写真」という〈モノ〉そのものを指しています。②の「この」も同様に、指しているのは「道」という〈モノ〉です。

これらに対し、③の「こういう」は、その前に、ただ真似をするだけとか、何も考えずに作業をするとか、具体的なことが書かれていて、それらを受けて「単純なやり方」とまとめていると考えられます。④の「このように」の前も同じく、電子データの活用やチャット機能を用いた生徒どうしの議論といった、教育ICTの具体例が挙げられているでしょう。

つまり、指示語には、①・②のように単純に〈モノ〉を指すものと、③・④のように前で述べた〈内容〉を受けるものとがあります。私が〈幅の広い指示語〉と呼んでいるのは、後者の「こういう」「このように」などの〈内容〉を受ける指示語です。

〈幅の広い指示語〉は、おもに段落の最後の一文や続く段落の冒頭の一文に用いられ、そこまで述べてきた内容をまとめる働きをします。筆者がまとめをするのは、それが言いたいことであるからに他なりません。だから、〈幅の広い指示語〉は要点を示す〈サイン〉なのです。

さらに言えば、まとめをしたらそれで終わりではなく、先に議論を進めていきますよね。③では「長続きしない」ことが、④では「それ(=教育ICT)をいかに活用するかが課題」であることが述べられています。〈幅の広い指示語〉が出てきたら、まとめの部分を押さえたうえで、続く議論を意識しながら読むことが肝心です。

 

東大「現代文」の問題にチャレンジ

それでは、〈幅の広い指示語〉が問われた東大「現代文」の問題をご覧いただきましょう。読み流すのではなく、自分で解答を作ってみてください。前回の記事で述べた、「東大の入試問題は、シンプルだから難しい」ということの意味を、実感していただけると思います。

〈例題(2006年度・文科第4問)〉

産業革命以前の大部分の子どもは、学校においてではなく、それぞれの仕事が行われている現場において、親か親代りの大人の仕事の後継者として、その仕事を見習いながら、一人前の大人となった。そこには、同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤がある。それが大人の権威を支える現実的根拠であった。そういった関係をあてにできないところに、近代学校の教師の役割の難しさがあるのではないか。つまり学習の強力な動機づけになるはずの職業共有の意識を子どもに期待できず、また人間にとっていちばんなじみやすい見習いという学習形態を利用しにくい悪条件の下で、何ごとかを教える役割を負わされている、ということである。
(宮澤康人「学校を糾弾するまえに」)

問 「それが大人の権威を支える現実的根拠であった」とあるが、それはなぜか、説明せよ。(60字程度)

前近代の社会では、大工の子は大工に、商人の子は商人にと、職業は家業として世襲されました。ですから、子は現場で見習いをしながら仕事を覚えていけば良かったわけです。

近代(現代)における学校(とりわけ小学校)では、そうはいきません。「子どもには限りない可能性がある」ということを前提として、特定の職業訓練ではなく、読み書き計算を中心とした、生きていくうえで必要な基礎学力の養成が目標とされるからです。

しかし、そこには近代の学校に特有の問題が生じます。それは、特定の職業から切り離されているがゆえに、その学科がどんな役に立つか分からない、ということです。「学校で教わったことなんて、社会に出てから何の意味もなかった」というのは、大人がよくこぼすセリフですが、そもそも普遍的な内容を扱うので、習ったことがこういう場面で役に立ったというように具体的に特定することができません(本当は血肉となって役に立っていることが多いのですが)。

このような、近代(現代)の教育の問題を考えるうえで、近代以前(産業革命以前)の教育のあり方について論じた本文は、とても参考になるでしょう。

 

さて、傍線部の一文の直後にある〈幅の広い指示語〉の「そういった」に注目してください。産業革命以前の仕事の現場における親と子、先輩と後輩との関係をまとめているわけです。子どもは現場で、先輩の「仕事を見習いながら、一人前の大人」となりました。

 

そうした環境においては、「同じ仕事を共有する先輩と後輩の関係」が成立しましたし、仕事ができる先輩(大人)を後輩(子ども)は尊敬の眼差しで見つめたでしょう。それが傍線部で言う「大人の権威を支える現実的根拠」となったと考えられます。

 

しかし、「そういった関係」をあてにできないところに、「近代学校の教師の役割の難しさ」があります。〈幅の広い指示語〉でまとめた後に、新たな論が展開されていることも確認してください。

 

以上の内容を踏まえて、解答を作ってみましょう。

解答例

それぞれの仕事が行われる場で、職業を共有する意識を持ちながら、仕事を見習うという形で先輩と後輩の関係が成立していたから。(60字)

 

〈当たり前〉のことを積み重ねる大切さ

今回の記事を読んで、「〈幅の広い指示語〉が前の内容をまとめるなんて、当たり前のことではないか」とお思いになった方もいるかと思います。また、東大「現代文」の問題に実際に取り組んで、とても基本的なことを問うていることに驚かれたかもしれません。

 

しかし、言葉は〈当たり前〉のことの積み重ねによって成り立っています。もし、言葉が〈当たり前〉のことからできていないのならば、どうして他者と言葉を共有し、思いや考えを伝えることができるでしょうか。

 

文章を読むとは、筆者が積み重ねた言葉の〈当たり前〉を、もう一度自分で組み立て直す営みなのです。そして、その〈当たり前〉のことを、それこそ〈当たり前〉のように問うてくるところに、東大「現代文」のシンプルな難しさがあります。

 

前回の記事で、〈かしこさ〉とは先天的な能力ではない、〈技術〉である、と述べました。その〈技術〉とは、〈当たり前〉を積み重ねることと言い換えられるでしょう。そして、〈技術〉であるからには、たんに覚えるというだけでなく、使いこなせることが肝心です。今回扱った〈幅の広い指示語〉を、新聞や教科書、Web記事など、様々な文章を読むときに注目してください。読みが一段深まるはずです。

 

次回の記事では、〈幅の広い指示語〉と並んで出現頻度の高い言葉の〈サイン〉について解説しましょう。

 

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東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜〈具体〉と〈抽象〉の関係をとらえる【相澤理氏連載:第三回】

【書籍紹介】

「最速で考える力」を東大の現代文で手に入れる

著者:相澤理(KADOKAWA)

短い制限時間内で物事を処理し、問題解決するために必要な「最速で考える力」。現代社会において必要なスキルである、その「最速で考える力」が手に入るのが東大の現代文です。東大現代文の実際の入試問題をトレーニング材料にした、一流の思考法を養うための最強の1冊となっています。

 
 
※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。

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