製薬業界を知る

2020/01/29

前回(人類最後の敵・がんに挑む ~体内にあった最強の武器(1))の続編をお届けします。

 
前回、いったんかかった病気に二度とかからなくなる(あるいはかかっても症状が軽く済む)免疫の不思議な作用を担う「抗体」が発見されたこと、抗体の正体はタンパク質の一種であり、体内に入り込んできた毒素タンパク質に結合し、中和してしまうことなどを書いた。

人体は、病原体などが作り出すあらゆるタンパク質に対して適合する抗体を素早く作り出すことができ、その可能性は約100億通りにも及ぶとされる。しかし、人間の遺伝子の数はこれよりはるかに少なく、現在では約2万2千といわれる。では免疫系は、なぜかくも多様な抗体を作り出しうるのか――この大難問に答えを出したのが、利根川進であった。

利根川は極めてエレガントな実験により、抗体を作り出すB細胞の特別な作用を解明した。B細胞はその遺伝子配列を自在に組み替えることができ、あらゆる異物に適合する抗体を作り出しうるというものだ。当時、遺伝子は生涯不変のものと考えられていたから、この衝撃は大きかった。一世紀近くも科学者たちを悩ませた抗体の謎を解いた利根川は、この功績によって1987年のノーベル生理学医学賞を単独受賞している。

ある研究者は利根川に、「北里が始めたことを君が完結させた」とのメッセージを送ったという。抗体の発見とその謎の解明は、日本の科学界が世界に対して為した、最も大きな貢献の一つといっていいだろう。

 

抗体医薬への遠い道のり


先ほどから述べている通り、抗体の本来の働きは、体外から侵入した病原体の毒素タンパク質に結合し、その働きを抑えることだ。北里はこれを利用し、血清療法という新しい感染症治療法を切り拓いた。しかし抗体が結合しうるのは、何も病原体のタンパク質だけではない。我々自身が持つタンパク質も、やりかた次第で抗原になりうる。

となれば抗体は医薬として、無限といっていい可能性を秘めている。たとえば、がん細胞に対して「増殖せよ」というシグナルを発するタンパク質を、抗体によって抑え込むことができれば、副作用の少ない抗がん剤となりうる。

通常の低分子医薬は、消化管などで分解されず、細胞膜を透過して標的タンパク質に到達できるよう、分子量がせいぜい500以下の小さな分子が望ましいとされる。しかし、相手は分子量数十万という巨大なタンパク質分子だから、その結合力は限界がある。また、体内に多数存在する類似タンパク質の中から、目的のものだけを見分ける能力(特異性)も、十分に高いものを創り出すのは難しい。

しかし抗体は、標的のタンパク質と同じほど巨大だから、結合力も特異性も低分子医薬とは比較にならないほど高いものが容易に作り出せる。目的のタンパク質の作用だけを強く抑え、余計なタンパク質には結合しないということは、強い薬理作用を持ちながら副作用は少ない、夢の薬に結びつきうるということだ。

だが、抗体は非常に扱いの難しい存在でもある。ひとつ間違えば、病気を防ぐどころかさまざまな疾患を引き起こしてしまう。自分自身の体のタンパク質を誤って敵と認識し、抗体が作られてしまう「自己免疫疾患」には、難病とされるものが多い。

また、抗体を作成する際にも問題がある。実験動物に抗原となるタンパク質を注入すると、何種類もの抗体ができてしまう。抗原となるタンパク質表面のあちこちの部位を認識して抗体が作られてしまうためだ。こうした混ざり物では、余分な免疫反応が起きてしまう恐れがあり、医薬としては適さない。この点を解決しないことには、医薬応用など進めようがないのだ。

 

モノクローナル抗体の誕生

この解決策は、意外なところから現れた。1950年代半ば、岡田善雄らはあるウイルス(東北大学で見つかったため、センダイウイルスと命名された)の奇妙な性質を発見する。このウイルスをがん細胞に感染させると、二つの細胞を隔てる細胞膜が溶けて、両者が融合した巨大な細胞が出来上がるのだ。

当初、センダイウイルスのこの性質は生物学者の興味を惹いたものの、奇妙なウイルスというだけで終わっていた。だが、一見すると抗体とはなんの関係もなさそうなこのウイルスが、抗体医薬実現への大きなブレイクスルーを生むことになる。それをやってのけたのは、英国ケンブリッジ大学のセーサル・ミルシュタインと、ジョルジュ・ケーラーの師弟であった。

彼らは、抗体を生産するB細胞と、ミエローマ(骨髄腫)のがん細胞を融合させることに成功したのだ。できたハイブリドーマ(ハイブリッドがん細胞)は、抗体を作り出すB細胞の力と、無限に増殖するがん細胞の能力を兼ね備えていた。すなわちこの細胞を使えば、特定の抗体だけを大量に生産することができる。この純粋な抗体は「モノクローナル抗体」と呼ばれ、開発者の二人は1984年のノーベル生理学医学賞を獲得している。

この技術があれば、今度こそ抗体を医薬として活用できる――製薬企業は色めき立ち、抗体医薬の開発に取り組んだが、またもや研究は壁にぶち当たる。必要な抗体は、ウサギやネズミなどの動物に、標的となるタンパク質を投与して作らせる必要がある。だがこれはあくまで動物の作った抗体であり、ヒトの抗体とは構造がわずかに異なる。これを人体に投与すると、あろうことか人体の免疫系はこれを異物と見なし、「抗体の抗体」を作り出してしまうのだ。これではアレルギー反応など、重篤な副作用の危険が避けられない。

この経験により、製薬企業には「抗体はやはり医薬にはなりえない」という、一種のトラウマが植え付けられてしまった。この後20年ほどにわたり、抗体医薬には冬の時代が訪れることとなる。

 

がん治療の新時代


この壁を打ち破ったのは、遺伝子工学の進歩であった。マウスの抗体のうち、ヒトの免疫系に攻撃されやすい部分をヒトの抗体に置き換えた「キメラ抗体」が登場したのだ。これによって「抗体の抗体」の生成は抑えられ、実用化への扉が開かれたのだ。最初に登場した抗体医薬は抗リウマチ薬レミケードであったが、すぐに抗がん剤への応用も始まった。

たとえば、主に乳がんに用いられるトラスツズマブは、細胞の増殖に関わる受容体に結合し、その働きをブロックすることでがん細胞の増殖を食い止める。その他、血液がんに対するリツキシマブ、大腸がんなどに有効なベバシズマブなどが続々と登場し、がん治療のパラダイムを塗り替える働きを演じている。

そして、肺がんや胃がんなど各種の難治がんに著効を示し、世界を驚かせたのがニボルマブだ。がん細胞が免疫系の攻撃をかわす機構を封じるという画期的なメカニズムの薬剤であり、2018年のノーベル生理学医学賞の対象となったことは記憶に新しい。森喜朗・元総理も、この薬によって命を救われた患者の一人であり、氏は回復後にラグビーワールドカップや東京オリンピックの陣頭指揮に当たるなど精力的に活動している。これだけを見ても、抗体医薬は十分に「歴史を変えた薬」の仲間入りを果たしつつあるといっていいだろう。

画期的といわれる抗体医薬だが、決して突然ぽっと現れたわけではなく、その影には多くの科学者の努力と、いくつものブレイクスルーの積み重ねがあり、ここに記したことはそのごく一部に過ぎない。新たなブレイクスルーを目指す者にとり、その歴史を知っておくことは決して無駄にはならないことだろう。 

※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐藤健太郎さんのweb版連載「世界史を変えた薬」
その名は「H2ブロッカー」〜病気を治すロジックの誕生・前編
その名は「H2ブロッカー」〜病気を治すロジックの誕生・後編
人類最後の敵・がんに挑む ~体内にあった最強の武器(1)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

製薬業界をもっと知りたい!製薬業界・入門編
タグ一覧 新薬 研究職 製薬業界
記事一覧へ
佐藤 健太郎

1970(昭和45)年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院卒業後、国内製薬メーカー研究職として勤める傍ら、有機化学について広く世間に興味を持ってもらいたいとの思いから1998年にウェブサイト『有機化学美術館』を開設。2007年末、ライターとしての活動に専念するため勤めていた企業を退職。2009年から2012年4月まで東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教。現在、化学・医薬を専門分野とするフリーサイエンスライターとして活動中。著書に『医薬品クライシス 78兆円市場の激震』 新潮社(2010年)、『世界史を変えた薬』 講談社(2015年)、『医薬品とノーベル賞 がん治療薬は受賞できるのか?』 角川新書(2016年)、他多数。

関連記事