製剤研究一筋、特許出願は20以上。「成功体験」を味わえるジェネリックメーカーの仕事は面白い
今や就職活動をする学生さんにとっては、志望する業界や会社について、さまざまな情報が簡単(すぎるほど)に集まる時代。しかし、「入社後に、自分が成長していく姿」を具体的にイメージできるかというと……なかなか難しいもの。
そこで今回は、ジェネリック医薬品メーカーで働く3名の研究職の方に、入社からこれまで一体どのような経験をされてきたのか、その「成長度」をグラフに描いてもらいました。
グラフに図示しきれない“思い“も含めて、SCIENCE SHIFT編集部が根掘り葉ほり、聞いてきました。今回は、別の製薬会社を経て2000年に沢井製薬に入社、研究者としての道を歩み続ける野沢健児さんにお話を伺います。
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取材協力:
沢井製薬株式会社 製剤研究部 製剤研究IVグループ
野沢 健児(のざわ・けんじ)さん
他製薬会社を経て、2000年に沢井製薬へ入社。以来、携わった医薬品特許は20以上、製剤研究一筋のキャリアを歩んでいる。海外プロジェクトの担当や働きながらの博士号取得などを経て、現在は製剤研究IVグループマネージャーとして現場を取り仕切る。
はじめての特許出願、研究者としての喜びを体験
━━2000年に入社されてから、ずっと研究開発一筋なんですね。
はい。前の会社では外用薬、貼り薬を開発していたのですが、その頃から考えると20年を超えます。人に飲んでもらう薬を開発したくて沢井製薬へ入社し、そこから固形製剤の処方設計と製造方法の確立について研究しています。
━━固形製剤の設計というのは、他の剤形に比べて難しいのですか?
そうですね。カプセルや顆粒剤は基本、粉で処方設計しますが、錠剤は原薬に他のいろんな添加剤を加え、圧力をかけて錠剤にしないといけない。錠剤という形にするために多くの課題をクリアしなければならないところに錠剤ならではの難しさがあり、面白さがあるんです。
━━研究を続けて、入社5年目で初めて特許を出願されたのですね。
はい。一般的に抗生物質は苦いものですが、それを苦くないようにする特許を出しました。原薬の周りを水溶性高分子と不溶性高分子で被覆することで、原薬と舌が接触しないので苦味を感じず、胃に到達してポリマーが溶けると薬物が放出され、薬効が発現するという内容でした。
━━それは溶け具合が重要なのですか?
そうですね。ポリマーで原薬をコーティングするのはよく使われる技術なのですが、溶け具合をどうやって調整するかが各社の争点です。口の中は水分が少ないので溶けず、胃の中で大量の水分に触れると溶けるように設計する必要があります。pHも問題で、口の中のpH5~6では溶けず、胃に入ってpH1~2ぐらいで溶けるというポリマーを使って調整します。一般的な添加剤やポリマーをどう加工するか、技術を争うことになりますね。
━━この分野で特許を取ることが先に目的としてあったのですか?それとも、新技術ができたから特許を取ったのですか?
後者です。公知技術として人の目に触れると真似されるため、独自の技術ができても特許を出さない会社もあると聞きますが、沢井製薬は逆に、他社に真似されないようにと特許を出すようにしていて、私も25個ぐらい特許を出しています。研究者にとっては、自分がその研究に携わっていた証拠として残る特許を出願できるということはモチベーションが上がることでもあります。
━━前の会社では特許を出願したことは?
チャレンジしたのですが、取得することができませんでした。沢井製薬に入って初めて、研究者としてその喜びを味わいました。
初の海外プロジェクト、研究者としてのモチベーションもアップ
━━(成長グラフから、)その後、海外プロジェクトのご担当になったのですね。「難しさを実感」とのことですが、何が一番難しかったですか?
日本の医薬品の規格レベルや求められるスペックが他の国の人にとっては高すぎるのでしょう、自分たちの条件や常識、想いをなかなか理解してもらえませんでした。そこまで必要ないだろうと言われたり、どう対応すべきか作戦会議を続ける毎日でした。苦労して理解してもらっても、海外では異動スパンが短いため、先方の担当者が変わることもしょっちゅうありましたね。
━━非常に大変そうですが、その期間のグラフの上がり方が大きいですね。
そうなんです。海外で仕事をしたことがなかったので、プロジェクトに参加させてもらったことで、研究者としてのモチベーションが上がりました。将来、この経験は絶対役立つものだと思います。
━━(成長グラフから、)そんな中、なぜ大学で博士課程を目指されることになったのですか?
海外で感じたのですが、外国では肩書きがある方が仕事が進みやすい。上司からも博士号を持ってないと海外ではやっていけないよと言われていたんです。そんな時、たまたま当時の取締役から、静岡県立大学にいい先生がいるから、と紹介していただいたのが入学のきっかけです。
実はその先生は、私が一番初めに出した特許のテーマである先発品に携わった方だったんです。その先生のもとで博士課程を取れたというのが非常にありがたかったですね。縁を感じましたし、私としてはとてもいい場所に行けたと思っています。
━━大学で勉強している期間は、会社においてはどういう扱いだったのですか?
会社にも大学にも籍がある状態でした。大学は月に1~2回報告しに行くというのが通常のスタンスで、仕事と時間を調整しながら研究テーマの実験をしていました。普通に仕事をしつつ、合間を見つけて研究し、論文を書くという感じです。自己啓発という形ですね。
━━毎日かなりハードそうですね。
客観的に見ればそうだと思いますが、大学の方は趣味だと思ってやっていたので苦痛ではなかったです。自分がやりたかったことを、会社から資金援助してもらいやらせてもらえて、すごく感謝しています。
━━大学に入って、また基礎研究から始められたということですが。
基礎研究と言っても、固形製剤で使っている原薬を使って、どうやったら一番効率的に自分たちがほしい結晶形が取れるか、それを製剤工程中でどうやって好ましい結晶形に変化させられるかなど、仕事に関係するテーマだったので面白かったですね。
━━それは会社ではできない研究なのですか?
そうですね。ジェネリック医薬品メーカーはスピード感が大事なので、基礎研究に没頭してしまうと上市が遅れてしまう。優先順位として製品の上市が一番、となるとやはり基礎研究よりも開発に力を入れなければなりません。
━━それを大学でやれたというのは大きいですね。
はい。会社でモノ作りを経験してから博士課程に入ったので、改めて基礎研究するのは新鮮でした。テーマも初めて特許を取った思い入れのある薬物でしたし、それを約20年後にもう一度大学で勉強できたのは意味深いことでした。40歳を過ぎてから入ったこともあって、与えられた時間の中で何ができるか冷静に見えていたのもよかったのかもしれません。余計なことにガツガツ手を出さなかったから結果を出せたのかなと思います。
━━同じ薬を基礎から勉強し直して、新たに発見することはありましたか?
はい。製剤加工中に結晶形を制御する技術を見つけて、静岡県立大学の名前で特許を出させていただき、パーティクルデザイン賞*もいただきました。仕事の内容は外部では話せなかったのですが、先生との会話から研究のヒントを見出し、それを仕事に役立てることもできました。
*パーティクルデザイン賞: 優れた医薬品開発において多大な貢献が認められる研究者もしくは研究グループに送られる賞。製剤開発・製剤技術・製剤プロセスエンジニアリングの3分野いずれかにおける研究業績が対象。
マネージャーへのキャリアアップと “念願の”博士号取得
━━そんなハードな中での2度目の海外プロジェクト。今度はさらに重責を任されたのですね。
アメリカのFDA(アメリカ食品医薬品局)で、日本設計の薬の承認を取るのが目的でした。高いレベルが求められる中でのデータの見方や取り方は勉強になりましたね。流ちょうにしゃべれるわけではないので、つたない英語を文字や絵で補足するという繰り返しで、コミュニケーションは今でも苦労する部分です。
━━そういう苦労もあっての達成感はひとしお、ですね。
FDAに申請できるだけのデータを、現地の人たちと一緒に取れたことが本当にうれしかったです。処方設計はもちろんですが、コミュニケーションも大事だと認識しました。苦労が多かった分、達成感や喜びは大きかったです。
━━その合間に長年の夢だった博士号を取得。
さすがにその時期はしんどかったですね。でも、ずっと研究で生きていくために、いつか博士号を取りたいとは思っていたので、仕事しながらそのチャンスをいただけたのはありがたかったです。一旦会社を辞めようかとも考えたのですが、家族のためにも仕事がないと生きていけませんし、そんな勇気も出なかったんです。無事博士号を取得できたのは本当によかったです。
━━こういうケースは、沢井製薬では他にもあるのですか?
会社に籍を置きながらというのは私が初めてでした。上司からは1回目の海外プロジェクトのご褒美だと言われましたので、がんばってよかったと思います(笑)。
━━2017年は「人・テーマを管理することのむずかしさを実感中」とありますね。
製剤を触っていたいので、ずっと専門職を希望していたのですが、縁があってグループマネージャーになりました。他の人や自分が携わっていない品目の進み具合など、今まで自分が見ていなかったことを見る、管理する難しさを実感しているところです。人それぞれ考え方も違うので、押し付けてもいけないなと試行錯誤しています。
━━若い人たちにアドバイスしていることはありますか?
例えば、実験ノートには目標・方法・結果・考察をきちんと書くこと、製剤の情報を見るときはデータをうのみにせず、自分で検証してみること、など。先発製剤の情報は後発品メーカーに知られないよう言い方を変えていたりするので、検証することを意識しているんです。
とはいえ、実験のやり方やデータのとらえ方は人によって違いますし、逆にこちらが気づかされることもあるので、押し付けないようにしています。
ただスケジュールを無視して趣味に走る人を元に戻すのは難しいですね。気持ちはすごくわかるので(笑)。
━━今も研究は続けているのですか?
それが会議や打ち合わせが多くて、なかなかできないんです。なるべく実験したいのですが難しいですね。
━━なぜ、20年以上もずっと研究を好きでいられるのだと思いますか?
ゼロから自分の思う通りのモノを形にできる仕事はあまりないし、化学的・工学的に考えて作りあげるとなるとなおさらです。やっぱり薬が一番素晴らしいと思える。面白いです。
━━失敗したことはありますか?
失敗というか、タイムラインが決められているのに、自分としては研究し足りないから遅らせた方がいいんじゃないかと言ってしまい、よく怒られます(笑)。沢井製薬として、高いレベルの基準が設定されていて、それを超えれば十分合格なのですが、研究者の自己満足的な過剰なこだわりが入ってしまうんですね。
━━しんどいことやモチベーションが上がらないことは?
それはありますよ。自分の作った製品を量産する時、なかなかうまくいかないと工場から叱咤激励されるわけです(笑)。工場もいいものを作りたいという思いがあるので、「なんでもっとうまく設計できないんだ」と。そんな時は、まだ自分には実力がない、と自信をなくすこともありますね。薬にはそれぞれ特徴があるので、前に経験したことがそのままいかせるわけではなく、前とは逆の方法で改善することもあります。経験が多いほど固定観念にとらわれやすいので、純粋に現実をとらえられる新人の目で見た方が意外と早く解決するということもよくあるんです。
祖父母のために不老不死の薬を作りたかった
━━物作りが好きなのはいつからですか?
実は私の小さい頃の夢は、不老不死の薬を作ることだったんです。その夢がきっかけで薬学系の大学を意識するようになり、製薬会社に就職したいと思ったのも基本はそこだと思います。
━━なぜ不老不死の薬を?
じいちゃん・ばあちゃん子だったんです。ずっと一緒にいたいという思いから、「自分が製薬会社で研究して、30歳ぐらいになったら薬ができるはずだから、その頃なら祖父母もまだ生きてられる」、と小さいながらに考えていました。
━━根底にあるのは「人」なんですね。
そうですね。健康が一番だと思っています。健康を守るにはどうしたらいいかと考えた時、体を切り刻むのは苦手だな、と。医師の力は手の技術が必要だと思うのですが、薬で病気が治せるなら、その方が可能性が高いのではと思ったんです。いろんな化合物を組み合わせて作る薬は無限だから、薬の可能性はまだまだ大きい。ちょっと壮大すぎるように思われるかもしれませんが(笑)。
研究者としての成功体験が近いのがジェネリックの魅力
━━今のお仕事の楽しさ、面白さを学生さんに伝えるとしたら?
ジェネリック医薬品という業界は、成功体験を味わえる会社だと思うんです。新薬だと20年ぐらい研究していても、確率論的に、モノになるのはチャンスがあって1~2回と言われていて、自己満足で終わってしまう可能性もありますが、沢井製薬であれば、自分が作った製品を発売するという達成感を味わえる可能性は非常に高いです。処方や製法を考え、それを世の中に出して、人の役に立てる薬を10個以上開発できると思います。実際に自分の作った薬を息子が処方されたり、世の中に自分が作った薬が出ているのを見ると、社会や健康に貢献できている気がします。
━━それは研究者ならではの喜びですね。
ジェネリック医薬品を開発する際、先発品の原薬を調査し安定性が悪いことがわかったら、その安定性を向上させる技術を開発します。個人的には、どうして安定性が悪いのかを調べて、それを実験で証明できた時は、「先発品メーカーはこれを知らなかったんだ」とテンションが上がりますね。知る喜びを経て、それを形にできるというのも働きがいのあるところだと思います。
━━大学で学んでおくべきことがあれば教えてください。
柔軟性と優先順位の付け方でしょうか。柔軟性を持っていろんな見方をした上で、どれが一番ゴールに近いかという優先順位をつけられるのが理想的です。いつまでに一つのカタチとして目標に到達するかということが頭にあると、本当はこれをやりたいけどゴールはこっちに近い、と切るべきことを切れると思うんです。そのためには目標を明確に持つことも大切ですね。