東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜知識を身につけ本をきちんと読む方法【相澤理氏連載:第一回】

サイエンスシフト新連載のテーマは『現代文』です。
科目としての現代文は、日本語をきちんと処理するためのエッセンスがつまっていて、生きる力につながる、と編集部は考えています。
この知識を、どう実務や日々のコミュニケーションに活用すべきか、『東大のディープな日本史』や、『「最速で考える力」を東大の現代文で手に入れる』(共に出版KADOKAWA)を著書にもち、現在は予備校・通信制高校などで講師をされている相澤理さんに伺います。
全4回の連載でお届けする、今回が第一回目。具体的な技術に入る前に、なぜ現代文なのか、というところから始めます。

私が出会った〈かしこい〉東大生

私の予備校講師としての原点にあるのは、講師として駆け出しだったころに出会った、東京大学の理科Ⅲ類(医学部)に現役で受かった生徒です。

私は若造ながら東大クラスを任され、私よりも明らかに脳みそが柔軟な生徒たちを相手に悪戦苦闘する日々でした。中でも今から紹介する生徒は頭抜けていました。特に印象的だったのは、答案がとても短く、それでいて要点を外さないのです。

私が担当していたのは東大現代文の講座でしたが、東大現代文の解答用紙の欄は13.5センチで2行しかなく、頑張って書いても60字が限界です。それでも厳しくて、私たち予備校講師は苦心して解答例を作り上げるのですが、その生徒の答案というのが、読みやすい大きな文字で書いてあって50字もありません。1行半くらいで終わっていることもありました。

ですが、その解答の内容は非の打ちどころがありませんでした。

実は、その生徒は模試では現代文の得点があまり良くありませんでした。それは、模試では「この要素が入っていたら2点」などのように採点基準が用意されているため、その生徒の答案は簡潔すぎて模試の採点基準を満たす要素としてカウントされなかったからです。

そのような事情をその生徒はお見通しで、模試の現代文の点の悪さをまったく気にしていませんでした。私も実際の東京大学(または大学)入試では簡潔な答案ほど評価されることを少ない経験ながらも知っていましたので、「自分の答案に自信をもちなさい」と言い続け、その生徒はその後もブレることもなく、合格しました。

私にとっては今なお、その生徒が〈かしこさ〉の基準となっています。

東大生の〈かしこさ〉とは?

その生徒はなぜ短くかつパーフェクトな答案を書くことができたのでしょうか?

第一に、必要な要素の優先順位がつけられる、ということです。

自信のない生徒(予備校講師?)ほど、あれも書かなきゃこれも書かなきゃと考えて、どんどん答案が長くなります。しかし、答案に要素を詰め込めば詰め込むほど、何を言おうとしているのか分からなくなっていく。

それに対して、その生徒は本文中の回答に必要な要素で、最も重要な要素、次点の要素をきちんと見極めていました。ですから、答案作成にあたり優先順位の高い要素から盛り込んでいき、低い要素は削ぎ落とす。足し算ではなく引き算の発想なのです。

第二に、本文の内容を思い切って端的に言い換える姿勢で臨んでいました。

現代文の予備校講師はたいてい「記述問題は本文の言葉を用いて解答を作成しなさい」と指導します。私もそうです。しかし、本文の言葉を抜き書きするだけなら、与えられた問題文の内容を理解していなくても答案が書けてしまうという点が不満です。

しかし、理解が深まれば深まるほど、それを端的に言い表す言葉を探そうとするものです。その生徒の答案はたしかに本文の内容から少しズレていることもありましたが、最適な言葉を求める姿勢がつねに答案から伝わってきました。

ところで、端的に言い換えるというのは、具体的な内容を抽象化・一般化するということです。そして、そのようにして理解したことは、それを他の物事にも適用することができます。

面白いことに、東大に合格する受験生は、総じて穴のある科目がありません。実際に指導にあたっていると、ある科目で開眼すると、ほかの科目も伸びる、ということをよく目撃します。それは、個別の科目の内容をこえて、どのような科目にも通用する見方・考え方を身につけるからです。

何が重要なのかを見極める。そして、それを咀嚼して、ほかのものにも応用できるようにする。それが、東大が受験生に対して求める〈かしこさ〉であると、私は考えています。

〈かしこさ〉とは〈技術〉である

ですが、その〈かしこさ〉は選ばれし者にだけそなわる先天的な能力であるとは、私は考えていません。「近代哲学の父」ルネ・デカルトが言うように、理性は全ての人に等しく分配されています。ですから、誰もが理性にしたがって要素に優先順位をつけ、物事を抽象化・一般化することができます。

しかし、純粋に理性的に思考するというのは、先入観や感情が邪魔をして難しいものです。逆に言えば、それらを振り払うことができれば、〈かしこさ〉に到達できる。私は、それは〈技術〉によると考えています。

ここでは、その〈技術〉について、この連載の趣旨に即して、「文章を読む」という観点から説明しましょう。

読者の皆さんは、学校の国語の授業で、「〈大事なところ〉に線を引きながら文章を読みなさい」と先生から言われた経験があるかと思います。そして、どこが〈大事なところ〉かわからないまま、手当たり次第に線を引いていたという方も多いでしょう。

生徒を見ていると、全然線を引けないタイプと、ほとんどすべてに線を引いていくタイプに分かれるように思います。ただし、どちらも〈大事なところ〉がわかっていません。文章の〈濃淡〉に気づかず、同じ密度で全体を読み進めてしまっているのです。

もちろん、書き手は細部まで魂を込めて言葉を紡いでいますが、一方で、最初から最後まで同じ密度で書き進めたら、読み手がついていけなくなってしまうことも、よくわかっています。ですから、具体例をはさんだり、比喩を用いたりして、文章が張りつめすぎないようにします。そのように、密度の濃くない部分を組み込むことで、濃い部分=〈大事なところ〉を引き立たせるのです。

では、どうすればその〈大事なところ〉をつかむことができるのでしょうか?

私は、書き手が示す文章中の言葉の〈サイン〉をとらえることだと指導しています。

書き手は、ここが〈大事なところ〉だと読み手に気づいてもらうために、言葉の〈サイン〉を送ります。といっても、暗号めいたものではありません。〈サイン〉となる言葉を添えることで、〈大事なところ〉を指し示すのです。

たとえば、「~でなければならない」「~べきである」といった強意の表現がこれにあたります。「実は」という接続語も、「一般的にAと考えられているが、本当はBだ」という形で、Bが〈大事なところ〉である〈サイン〉です。

逆に、ここが〈大事なところ〉ではないことを示す〈サイン〉もあります。たとえば、「~と言えなくもない」という弱い肯定の表現は、それは認めるけれども言いたいことは別のところにある、という意味です。

このように、書き手は文章の〈濃淡〉を読み手が見極められるよう、言葉の〈サイン〉を文章中に埋め込んでいます。そして、文章が読める人というのは、こうした言葉の〈サイン〉に敏感なのです。

私は、いわく言いがたい〈読解力〉の正体とは、言葉の〈サイン〉を捉えて文章の〈濃淡〉を見極める力であると考えています。そして、それならば先天的な能力やセンスではなく、〈技術〉として身につけられます。

東京大学の入試問題は、シンプルだから難しい

さて、先天的な能力やセンスに依拠しない〈技術〉を培うのに、またとない教材があります。それが、東京大学の入試問題です。

東大の入試問題は、どの科目も基本に忠実です。高校の教科書の範囲を超える内容を問うたり、奇をてらった難問を出題することはありません。とてもシンプルです。しかし、シンプルだからこそ難しい。それは、基礎・基本の定着度がダイレクトに問われるからです。

現代文でいうと、問題は内容説明と理由説明しかありませんし、傍線が引かれるのも、実は言葉の〈サイン〉が集中する箇所です。ですが、いざ答案を作成するとなると、先に述べた「小さな解答欄」の壁が立ちはだかります。

思えば、点をつかみ、要点を簡潔にまとめる〈技術〉というのは、社会人にこそ求められるものです。そこで、この連載では、東大現代文を題材に、特に重要な言葉の〈サイン〉を紹介しながら、皆さんの読解力を予備校の講義さながらに鍛えていきたいと思います。何か資するところがあれば幸いです。

第二回はこちら

【書籍紹介】

「最速で考える力」を東大の現代文で手に入れる

著者:相澤理(KADOKAWA)

短い制限時間内で物事を処理し、問題解決するために必要な「最速で考える力」。現代社会において必要なスキルである、その「最速で考える力」が手に入るのが東大の現代文です。東大現代文の実際の入試問題をトレーニング材料にした、一流の思考法を養うための最強の1冊となっています。

 

※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。

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