東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜「逆説」を理解することは人間を理解すること【相澤理氏連載:第四回】
『東大のディープな日本史』や、『「最速で考える力」を東大の現代文で手に入れる』の著者・相澤理さんによる東大現代文連載の最終回をお届けします。
相澤さんが、入試現代文において最も重要な言葉と考える「逆説」について解説していただきました。
過去の連載記事はこちらから
- 東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜知識を身につけ本をきちんと読む方法【相澤理氏連載:第一回】
- 東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜「幅の広い指示語」を理解する【相澤理氏連載:第二回】
- 東大「現代文」の知識を仕事に生かす〜〈具体〉と〈抽象〉の関係をとらえる【相澤理氏連載:第三回】
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「逆説」を理解することは人間を理解することである
本連載ではこれまで、文章の〈濃淡〉を見極めて書き手の言いたいことをつかむための、幅の広い指示語や、「たとえば」「つまり」といった言葉の〈サイン〉について解説してきました。
ただし、これは読解力をアップさせるうえでの第一段階にすぎません。文章の要点がどこにあるのかを見抜けるようになったら、次の段階として、書き手は何を言おうとしているのかを理解することが求められます。それには、言葉の意味をきちんと知っていることが必要です。
入試現代文では、「抽象」「象徴」といった評論文で用いられる言葉(術語)について学習します。言葉の確かな理解と正しい用い方は、大学での勉強・研究においてだけではなく、社会に出てからもずっと求められるものです。私たちは生きているかぎり、言葉の学びを続けなければなりません。
今回は、入試現代文において最も重要な言葉について解説します。私がこの言葉を取り上げるのは、たんに受験にとどまらず、人間そのものについて理解するうえで欠かせないと考えるからです。
その言葉とは、「逆説」です。
「逆説」とは、〈一見矛盾しているようで真理を述べた説〉のことで、英語ではパラドックスと言います。たとえば、「急がば回れ」ということわざです。急いでいるのに遠回りする、矛盾しているように思えますね。しかし、急ぐ時こそ慎重に事を進めた方が、かえって早く片付くもの。つまり、「急がば回れ」は真理なのです。
このように、「逆説」という言葉が出てきたら、まず矛盾する2つの要素をとらえることが肝心です。両者は多くの場合、「かえって」「同時に」「~であるからこそ~」といった表現でつなぎ合わされていますので、これらの表現を探してください。
手前味噌ですが、私が書いたものから例文を挙げます。
高田先生がこの本で教授されている「たった一つのこと」とは、「出発」=書き手の問題意識を共有し、「追跡」=論の展開を追い、「停止」=結論をつかむ、ただそれだけのことです。ですが、その当たり前のことを生徒に教え込むために、良心的な多くの予備校講師は苦心し、一方で、真に正しいことは凡庸さを装うという逆説に気づかず、〈自分だけの方法〉を吹聴する一部の予備校講師は勝手に自滅していきます。
(『歴史が面白くなる東大のディープな日本史3』「おわりに」より)
ここで取り上げている高田瑞穂先生の『新釈現代文』(ちくま学芸文庫)は、「読む」という営みの神髄を垣間見られる古典的名著ですので、ぜひお読みください。そして、見かけに惑わされて真の正しさを見失ってはならないということは、私がつねに戒めとしていることです。
東大「現代文」の問題にチャレンジ
それでは今回も、「逆説」の理解が問われた東大「現代文」の問題に挑戦しましょう。じっくり読んで解答を作成してください。
〈例題(2002年度・文理共通第1問)〉
この「私」の死のもつ徹底的孤絶さのゆえに、人は、迎えるべき死への恐怖を増幅された形で感ずる。日常的世界では、つねに人間として、人どうしの間の関係性のなかで生きてきたわれわれは、たとえ、絶海の孤島に独りあってさえ自然のなかに友をつくり人間的生活の回復への微かな期待を決して捨てることのないわれわれは、死において、かかる一切の人間としての関係性を喪って、ただ一人、死を引き受けなければならない。このことへの恐怖こそ、逆説的に、人が人間として生きてきたことへの明証となるだろう。あえて、「消極的」と呼んだのは、この逆説性のゆえである。
(村上陽一郎『生と死への眼差し』)
問 「この逆説性」とあるが、どういうことか、説明せよ。(60字程度)
傍線部で言う「逆説性」とは、指示語の「この」で受ける前文の内容です。矛盾する2つの要素に注意しながら読むと、「このこと(=ただ一人、死を受けなければならないこと)」と、「人が人間として生きてきたこと」とが矛盾しています。
「人間」については、その手前で「人間として、人どうしの間の関係性のなかで生きてきたわれわれ」と説明がありますね。古代ギリシアの哲学者アリストテレスが「人間は社会的動物である」と看破したように、人は他者との関係において(のみ)生きています。
しかし、死ぬときは誰もがただ一人です。ここに、生における「関係性」と「死のもつ徹底的孤絶さ」とが矛盾しています。ですが、だからこそ、死への「恐怖」は「人が人間として生きてきたことへの明証とな」りうる。他者との「関係性」のゆえにこそ、「死のもつ徹底的孤絶さ」が怖いのです。
以上の内容を踏まえて、解答を作ってみましょう。
〈解答例〉
死ぬときは徹底的に孤絶することに感じる恐怖が、かえって人間が他者との関係性において生きていることを証し立てているということ。(62字)
この文章は、人間そのものが「逆説」的な存在であることを示唆しています。たしかに、私たちはさまざまな矛盾を抱えて生きています。しかし、矛盾とは必ずしもネガティブなものではありません。
AだからB、BだからCと、因果関係によって進んでいく論理は、実は何も生み出しません。というのも、原因であるAには、結果であるBの要素が全て含まれているからです。これに対して、「逆説」は、一見矛盾する要素を結びつけることで、新しいものを生み出します。
たとえば、温室効果ガスの排出は抑制しなければならないが、一方で、安定的な経済成長も求められる。この一見両立不可能な2つの要求を同時に満たそうとすることで、新しいテクノロジーが生み出されます。矛盾は創造の原動力なのです。
このように、「逆説」だけが新しいものを創造します。それが、文章の要所で「逆説」の語が用いられる理由です。そして、「逆説」が入試現代文で問われるとき、矛盾から創造する力が問われているのです。
二度読んで、はじめて読んだと言える
本連載の最後に、先に紹介した高田先生の『新釈現代文』から、「読む」ということの本質を鋭く射抜いた一節を引用したいと思います。
最後に一言、この本によって「たった一つのこと」を理解する道もまた、当の「たった一つのこと」によるべきであることを申し添えます。ずいぶん長い「追跡」でしたが、どうぞこの本は、二度読んでください。どんな書物もそうですが、二度読んではじめて読んだと言えるのです。
書かれた言葉は無数の〈ゆらぎ〉を含みもちます。それは、書き手が試行錯誤した痕跡です。そのような末に、結論にたどり着きます。当然、結論が最初に決まってなどいません。書き手にとっても、「自分が言いたかったのは、こういうことだったのだ」と、後から分かるものなのです。
文章を「読む」とは、そうした〈ゆらぎ〉をも読み取ることです。〈ゆらぎ〉まで読み取ってこそ、書き手と問題意識を共有できます。しかし、〈ゆらぎ〉が〈ゆらぎ〉であることに気づくには、一度結論に触れていなければなりません。こうして、書き手が後から結論が分かることの裏返しで、読者も後から〈ゆらぎ〉が分かります。だからこそ、二度読まなければならないのです。
皆さんにも、時間を置いて本を読み、新しい発見があったり、まったく異なる感想を抱いたりしたという経験が、あるかと思います。それは、言葉の〈ゆらぎ〉に触れたということです。そうしながら、読みは深まり、自らの血肉となっていきます。
ですから、どんな文章も、一度読んだだけで満足せず、二度読んでください。そのことが、皆さんの「読解力」を、知らぬ間に、しかし、確実に、向上させるはずです。
ということで、本連載もどうぞ二度読んでください。ありがとうございました。
【書籍紹介】
著者:相澤理(KADOKAWA)
短い制限時間内で物事を処理し、問題解決するために必要な「最速で考える力」。現代社会において必要なスキルである、その「最速で考える力」が手に入るのが東大の現代文です。東大現代文の実際の入試問題をトレーニング材料にした、一流の思考法を養うための最強の1冊となっています。