これから、医療や薬の未来はどうなりますか?|シリーズ製薬業界・医療業界を変える⼈たちに会ってくる|奥真也先⽣
奥真也先生は、医師・医学研究者としてキャリアを重ねた後にビジネスの世界に身を転じ、製薬会社や医療機器メーカーで勤務されてきた経歴の持ち主です。現在は医療全体を俯瞰する視点から、著作や記事を通じて医療についての提言を行っています。
「多くの人が120歳まで生きる時代」を実現する医療や薬とはどのようなものなのか、お話を伺いました。
取材協力:
奥 真也 さん
1962年大阪府生まれ。医師、医学博士。経営学修士(MBA)。大阪府立北野高校、東京大学医学部医学科卒。英レスター大学経営大学院修了。専門は、医療未来学、放射線医学、核医学、医療情報学。東京大学医学部22世紀医療センター准教授、会津大学教授などを歴任した後、製薬会社や薬事コンサルティング会社、医療機器企業に勤務。著書に『Die革命』(大和書房)、『未来の医療年表』(講談社現代新書)、『世界最先端の健康戦略』(KADOKAWA)、『人は死ねない』(晶文社)、『医療貧国ニッポン』(PHP新書)、『未来の医療で働くあなたへ (14歳の世渡り術)』(河出書房新社)など。
「120歳まで生きる」のがふつうの時代に
──奥先生は『Die革命』などの著書やインタビュー記事などで、「人間はこれから120歳まで生きるのがふつうになる」と述べられています。最近「人生100年時代」という言葉を目にする機会が増え、100歳まで生きることは珍しくなくなってきましたが、さらに20年も平均寿命が伸びるという予測には驚きました。
それほど驚くことではありません。なぜなら実際にこれまでも、人間の寿命はずっと伸び続けているからです。日本人は現在、男女の平均寿命が世界でもトップランクの84.2歳です(2018年にWHOが発表)。しかし江戸時代の平均寿命は35歳ぐらいで、明治時代になってからも30代後半だったと言われています。はっきりと数字の上で日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、太平洋戦争後の1947年のことでした。それから約70年で、平均寿命は30歳以上も伸びているわけです。人の寿命の限界にはさまざまな説がありますが、内外の多くの研究者は「理論上、人間が120歳まで生きることは可能」と考えています。医療はさらに発展し、多くの人が限界寿命まで生きられるようになるはずです。
──江戸時代から現代にかけて平均寿命が伸びた理由には、乳幼児死亡率が減ったことがあるのでしょうか?
乳幼児死亡率の低下も一つの理由ではありますが、主だった理由ではありません。それよりも結核や肺炎のような感染症による死亡が激減したこと、生活習慣病によって致命的な状況に陥る人が少なくなったこと、かつて「不治の病」の代表格であった「がん」が、時代を経るうちに治る病気になったことがより大きな理由です。大腸がんや乳がんは、発症しても適切に治療すれば、その後30年、40年経っても再発せずに健康な生活が送れるようになりました。かつて「不治の病」の代表格だった白血病も、近年では再発せずに寛解の状態を長年保っている人が増え続けています。また、高齢者に対する医療の質が全体的に向上したことで、昔であれば50歳、60歳で亡くなってしまう病気にかかっても、今は治るケースが数多くあります。「人間は120歳まで生きるようになる」という予測も、そうした医療の向上の延長線にあるわけです。
がんが克服される日も近い
──厚生労働省によれば現在も、がんは日本人の死因の4分の1以上を占めるトップですが、これからがんで死ぬ人が減っていくということでしょうか?
そのとおりです。例えばがんの治療でいえば、免疫チェックポイント阻害薬は、がん細胞によって機能しなくなった免疫機能を再び活性化させることを可能にしました。また、がん細胞にだけ結合する特殊な抗体を患者の体内に入れ、赤外線を照射することでがん細胞を死滅させる「がん光免疫療法」という治療法も臨床の段階に入っています。一方で、より本質的にがんの治療に効果を上げているのが、特定のがんの原因遺伝子に選択的に効果を発揮する「分子標的薬」が次々に開発されていることです。
がんを引き起こす遺伝子の変化には、いろいろな種類があります。表組みのようにタテに遺伝子の変化をとって、ヨコにそれに対応する分子標的薬を並べてみると、今のところその表はまだスカスカの状態です。しかしこのまま研究が進んでいけば、近い将来、6〜7割のがん遺伝子に対応する薬で、その表を埋めることができるだろうと予想しています。人類ががんを克服する未来は、そう遠くありません。がん以外の遺伝子疾患についても、原因遺伝子が特定できるようになり、それに直接働きかける薬が次々に開発されていますから、多くの病気が治るようになっていくでしょう。
──この約3年間、世界は新型コロナウイルスの猛威にさらされましたが、感染症についてはいかがでしょうか?
今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは、世界中の医療システムに多大な負荷を与えました。しかし、医療の歴史を1000年ぐらいのスパンで眺めてみると、実は感染症というのは、克服されていると言っても過言ではないのです。まず、細菌が原因の感染症については、適切な抗生物質を使用することで迅速に治癒することができます。医療の進歩にともなって従来の抗生物質が効きづらい耐性菌も出てきていますが、さらにそれを叩く新しい抗生物質も「インシリコ創薬」と呼ばれる手法によって、スピーディに生み出すことができるようになりました。抗生物質はもともと青カビなどから産生されていましたが、現在はコンピューターのシミュレーションによって目的に沿った化学構造の物質を作れるようになり、自然界から探してくる必要がなくなったのです。
ウイルスが病原体の感染症についても、ブレークスルーが起きています。その代表例が、今回の新型コロナウイルスの対策で開発されたmRNAワクチンです。未知のウイルスの塩基配列をわずか1〜2ヵ月で解読し、その抗体を生み出すmRNAワクチンを1年で開発できたのは、これまでのワクチンの開発プロセスからは考えられないくらいのスピードです。実際にワクチンによって世界中で新型コロナウイルスによる死者・重傷者は激減しており、今後数年で「普通の風邪」へと終息していくと予想されています。mRNAワクチンの開発についても画期的な手法が3つほど提唱されており、これから新しい感染症が流行したとしても、スピーディに対応できるようになるでしょう。
遺伝子の解析で病因そのものを治す時代に
──これまで長い間、医療は病気が発症してから治療を始めて、症状を和らげたり消したりする「対症療法」がメインとなってきました。「寿命120年時代」には、病気の発生をあらかじめ防ぐ「予防医療」や、個々の患者に最適な治療を提供する「オーダーメイド医療」などが重要となっていくのでしょうか。
「対症療法」というのは、病気になって「咳が出る」「熱が出る」といった症状を抑える治療のことを指します。症状を引き起こしている病気の原因そのものにはアプローチしていないわけです。対症療法に対して近年進んでいるのが、「根本治療」です。遺伝子解析をはじめとする技術の進展により、なぜ病気が起こるのかという原因の理解が進んだことによって、「病因そのものを治療する」ことが可能となりました。
オーダーメイド医療や予防医療というのも、その流れの上に出てきた治療法です。オーダーメイド医療では、ある患者さん個人の、病気を引き起こしている固有の遺伝子を特定し、それに効果的な薬や治療を行うわけですから、遺伝子的な分析ができるようになって初めて可能になった治療法です。予防医療も同様に、個々人の遺伝子について「病気のなりやすさ」を解析し、遺伝子の変化を起こさないようにするという取り組みです。数年前に、ある高名なハリウッド女優が乳がんになるリスクが高い遺伝子を保有しているとわかったことから、両乳房を予防的に切除・再建したことが話題になりました。日本では左側の乳房が乳がんになったら、右側の乳房を保険適用で切除することが認められていますが、これからは遺伝子変異が認められたら予防的に同様の手術をすることができるようになる可能性があります。手術だけでなく、薬を飲んだり、運動したり、カロリーを制限するなどの手法で、病気を予防することが一般的になっていくでしょう。
──これから大きく変化することが予想される医療業界では、どのようなスキルや知識を持った人が必要になると思われますか?
これからの医療業界で働く人は、今まで以上に大きく2つの領域に分かれていくと思います。1つ目のタイプは「治療法を新しくつくる人」で、2つ目のタイプが「患者さんに対して治療を実行する人」です。医者というのは基本的に後者です。ごく一部の人は研究者として新しい治療法を開発することを目指しますが、医師全体からいえば、1〜2%しかいません。しかし医療の発展によって、新しい治療をつくり出すニーズは日に日に高まっています。
例えば「不妊治療」という医療行為は、数十年前には存在しませんでしたが、現在では体外受精などの技術が確立したことで一般的となりました。これからの医療ではゲノム編集などをはじめとする、遺伝子そのものを対象とする技術がさらに進展していくことは確実です。そういう時代には、医療面だけでなく倫理的、法的、社会的な影響についても深く考察した上での治療が求められるようになるはずです。
また発展が著しいAI(人工知能)は、すでに画像診断などの検査結果の分析に使われていますが、これからさらに医療の現場で活用されるようになっていくでしょう。将棋や囲碁のテレビ番組を見ていると、名人同士の戦いをAIが解析して、1手ごとに正しい手かどうかパーセンテージで示すようになっています。つまり将棋や囲碁では、人間の判断よりAIの判断のほうが正しいという時代になっているわけなのですが、医療についても同様の事態が到来することになってもまったく不思議ではありません。これからの医療従事者は、そのような医療AIを活用しながら、患者さんに最善の治療を提供していくスキルや知識が必要になるだろうと思われます。
「変わった経歴」こそ、自分の強みになる時代
──奥先生は、医師として臨床の現場に立った後に、製薬会社、医療コンサルティング会社、医療機器メーカーなど立場の異なる複数の領域で医療に関わってきました。そのキャリアの変遷の背景にはどのような考えがあったのでしょうか?
私が他の医師や研究者と違う点は「医療を通じて社会がどう変化していくか」という、社会学的な目で医療をとらえているところだと思います。私は医者として15年ほどの期間を働きました。その間に、ひとりひとりの患者さんに向き合って治療することの重要性を理解するとともに「さらに大きな枠組みで、医療によるソリューションを多くの人に提供したい」と考えるようになりました。製薬会社や医療機器メーカーに転職したのも、医療全体を俯瞰して見てみたいという思いがあったからです。
振り返ってみると、その思いの根本には「日本の医療制度を守りたい」という意識がありました。アメリカなどの国では、国の健康保険制度が整っていないため、ハイレベルの医療を受けるには沢山のお金が必要です。それに対して日本の医療制度は国民皆保険のもと、高額なお金を個人が負担せずともいい治療が受けられます。そのことを当たり前に思う人が増えすぎてしまうと、医療制度が崩壊してしまう危険性がありますが、社会基盤としてこの医療モデルを維持するべきだと私は考えています。日本が築き上げたこの医療制度は、間違いなく国家にとってかけがえのない資産です。諸外国の人の中には、日本で医療を受けたいがためだけに、日本国籍をとりたいという人もいます。医療全体を複数の視点から見た経験を活かしながら、日本の医療制度を守ることに貢献したいというのが、私が働くモチベーションの一つになっています。
──奥先生の経験から、若い医療従事者の方々に対して何かキャリアに関するアドバイスはありますか?
いつも若い人に伝えているのは「40歳、50歳になったときの将来の自分の姿を考えて、今の自分の行動を決めよう」ということです。正確に未来を予想するためには、今の自分が働く仕事の現場や業界が、どういう状況にあって、どのように変化していくかを見定める必要があります。そして大切なのは、自分が「この領域でがんばる」と決めたら、そこでトップ1%の存在になることです。もしも1%になるのが難しかったら、上位5%でも10%でもいいでしょう。でも、できれば分野を狭めてもいいのでトップ1%になったほうがいい。情報も仕事もいいものはトップに集まりますから、1%の存在でい続けることで、その領域全体を見渡すことができるようになります。
この国で、例えば医師は「安定した職業」の代表格のように長年の間見られてきましたが、もはやそういう時代ではありません。医者が転職したり、会社で働いたり、起業したりすることはさらに当たり前となっていくでしょう。「医者として変わった経歴」を持つことをためらう必要はありません。むしろそれが、その人だけの「強み」になる時代にすでになっていますので、ぜひ若い方々、これから医療になんらかのかたちで携わろうと考えている方々には、新しい領域へのチャレンジをしてほしいと願っています。
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