未来を考える

2020/02/21

サイエンスシフトとして、「未来」というテーマに真正面から向き合うのなら、どんな記事を作るべきか?

……そう考えたとき、編集部員の頭に浮かんで来たのは、経営学者・ドラッカー。氏は、単なる希望的観測や悲観的「気分」ではない、現実としての未来を創る方法、つまりイノベーションを起こす方法について、その原則を語っています。その立場は、長年の研究から生み出された、時代に左右されない頼りがいのあるものです。

これを解説してくれたのは、前回のドラッカーに関する記事『「生産性」現代ならではのもう一つの面とは|ドラッカーに学ぶ生産性の高め方』と同様、ドラッカー研究者である井坂康志さん。経営学というと縁遠く難しく感じられるかもしれませんが、普遍的で誰にでもできる方法です。

 

 

「未来はわからない」

――ドラッカーがなぜ重要なのか、前回の記事でお聞きしました。経営や社会を良くすることについて、大変な業績のあるレジェンド、と認識しています。さらに、ドラッカーは「未来」についても重要な言葉を残しているそうですね。

1939年の独ソ不可侵条約を予見したり、1991年のソ連崩壊を見抜いたりなど、的確な未来洞察でも有名だった人です。人によっては、あまりにも当たるのでドラッカーを未来学者と呼んでいたほどでしたが、本人は「自分は予測はしていない、予測することに意味がない」と言っていました。

――それだけ大きな変化を見抜いていたのに、予測をしていなかったと?

そうなのです。あくまでも、「すでに起こったこと」の帰結を見ていたにすぎなかったというのですね。

理由は簡単で、未来はわからないから。彼は『創造する経営者』(1964年)の中で、未来について私たちが知っていることは二つしかないと指摘しています。一つは、「未来はわからない」。もう一つは、「未来は現在とは違う」。

あえて言えば、この世界は変化を定められているけれど、どう変わっていくかは誰にもわからない。未来は知ることができない。AIがどれほど進化しようとも、変わることのない真実です。

反対にいえば、こういうことです。「私には未来がわかった」と断言する人、「未来はこうなっていく」とあたかも見てきたようにまくしたてる人たち。嘘つきか詐欺師のどちらか、もしくは両方です。わからないことをわかると言い切るのですから、悪いことを企んでいないはずがないのです。

大事なことなので何度でも言います。未来はわからない。漢字の「未来」という字を見てください。「未(いま)だ来たらず」。来ていないものをどうして知ることができるのですか。5年先、10年先はおろか、3秒先のことだって知ることはできません。

 

未来は「前」か「後ろ」か

――では、私たちは未来をどのようなものとしてとらえればいいのでしょうか。

いい質問です。未来をとらえるために、あなたにも一つ質問させてください。未来とは、前にあるものでしょうか、後ろにあるものでしょうか。

――未来が前にあるか、後ろにあるか? 考えたこともありませんでした。よく明るい展望のことを「前向きな」とか「未来志向」とか言いますから、やはり前にあるものなのではないでしょうか。

まずは、図を見てください。未来は前にあるというイメージを絵にしています。中央に私が立っている。図でいうと左側、前を向いていますね。前は太陽の光に照らされていて、明るいイメージでとらえられています。前方は広々と伸びやかな視野であることがわかります。反対に過去は後方にあって、視覚が届かない、暗く把握しがたいものとしてとらえられています。

たぶんこのような時間意識から、未来志向、前向き、それに対して、過去にとらわれる、後ろ向きという印象が形成されているのだろうと思うわけです。

――その通りですね。誰もがこんなふうに考えているのではないでしょうか。

しかし、この図式を根本から疑ってかかるのが健全な知性です。当たり前とはよくよく見れば決して当たり前ではない。常識とは見方によっては決して常識ではないのです。その証拠に古代のギリシャ人などは、反対の時間のイメージを持っていた。中央にいる私が180度体の向きを変えたら、どうなりますか?

今まで背後の闇に閉ざされていた風景が見えてきますね。目は前についていますから、今度は過去のほうがよく見えるようになって、逆に未来のほうが暗闇に包まれる。

よく考えてみてください。冒頭に申し上げましたように、未来はわからない。5分先のことだってわからない。数秒先だって確実なものはない。未来を直接把握できないというごくごく一般的な事実を言っているのと同じです。

一方で過去はどうでしょうか。昨日のこと、一週間前のこと、半年前のこと。覚えていないとは言わせませんよ。過去はすでに起こったことなのですから、それを反省し、理解することができる。理性的に解釈することもできる。ならば、わかりもしないし直接把握できない未来に目を向ける前に、理解可能な過去をまずは相手にすべきなのではないでしょうか。これが歴史を学ぶ本質であり、経験科学の本質でもあるのです。

現実問題として、未来とは過去の中に内包されているものです。この図を見てください。

今私が目にしている樹がこれからどう育っていくのか、あるいは育てていきたいのか。過去から現在に向けての樹のあり方をつぶさに観察することによってしか見えてきません。私たちが未来に対してできるのは、さらにどんなふうに育ってほしいか期待することだけです。そして、期待を書きとめて、それに向けてベストを尽くすことです。

――なるほど、フィードバックの考え方につながるわけですね。

そうなのです。というよりもドラッカーの言うフィードバックそのものと言っていいでしょう。ただし、人間の記憶ほどあてにならないものはありませんから、しっかりと記録しておく必要があります。できたら日記をつけるといいと思います。日記を書くとは、自分の歴史を創造することであり、歴史を創造することは未来を創造する基礎でもあります。

【フィードバックについては、こちらの記事をご覧ください。】

『「生産性」現代ならではのもう一つの面とは|ドラッカーに学ぶ生産性の高め方』(前編)
『「生産性」現代ならではのもう一つの面とは|ドラッカーに学ぶ生産性の高め方』(後編)

 

過去から未来を創るのに重要なこと

――つまるところ、未来を知ることは、過去を知ることですね。

その通りです。ドラッカーが予測そのものに意味がないといったのはまさにそのことです。未来がどうなるかなんて誰にもわからないのですから。わかりもしないものをわかったつもりになって行動することを世間では「ばくち」と言います。自分のもつ大切な時間を、ばくちの道具にしてはいけません。わかりますね。

――わかりました。では、過去から現在までを見る際に大事なことは何でしょう。

いい質問です。また反対に質問しましょう。何が大事だと思いますか?

――むずかしいですね。分析とか、リサーチとかそういうものでしょうか。

それらも大事ですが、あくまでも補助的なツールです。本当に大切なのは見る力です。要は観察力です。こればかりはまずかったらどうにもなりません。

あなたは本当に見ていますか。今日ここに来るまでの電車の車窓の風景や、駅の雰囲気、人の表情、空の色、広告、そんなものをきちんと見てきましたか。目を働かせていましたか。

見るのは見えるとは違う。ただ視覚を働かせているだけでは本当に見ていることにはなりません。見るのは立派な仕事なのです。まず見ることが一級の仕事だということを知ることです。その自覚をもって、責任をもって何かを見ることです。

プロと言われる人には例外なく責任をもって見るべき対象があります。医師も裁判官も教師もジャーナリストもフォトグラファーも一意専心見るべきものをもっています。

かつてあるプロのフォトグラファーから話を聞いたことがあります。その方は、風景写真の指導もしていたそうなのですが、腕が上がらない人に共通する一つの癖を発見したと教えてくれました。それはすぐにシャッターを切ることだったそうです。きちんと対象を見ないで、ちょっといいなと思ったらシャッターを切る。これを繰り返していると深みのある写真はまったく撮れないし、少しうまい程度の素人からは抜けられないのだそうです。デジタルが普及している昨今などはなおさらかもしれません。観察力ばかりはテクノロジーで容易に代替できませんので。

ドラッカーもやはり見る人だったのだと思います。一般にマネジメントとか企業経営の専門家だと思われていますし、それは正しいのですが、正確に言えば、企業で働く人たちを見ていたと思います。観察の中心には人間がいました。

マネジメント関連の本をぱらぱらとめくってみてください。人の話ばかりしているのに驚かされるはずです。イノベーションでもマーケティングでも戦略でも何でもそうです。マネジメントというと何か英語などの横文字が多くて、むずかしい理屈がたくさんあるように考える方がいますが、つまるところマネジメントを動かしているのは人なのです。どんなに複雑な構造をもった巨大な船や何百億円かけた情報システムであっても、最終的には人が動かし、人間社会への貢献がなければ意味をなさないのと同じです。

 

繰り返すことで観察力が高まる

――なるほど。わかりました。何かこつのようなものがあれば教えてください。

二つあると思います。

一つは、継続的に見ることです。何度も繰り返し見ることです。毎日毎日判でついたように。

――同じことを繰り返すのですか。一見、退屈な作業に思えるのですが…。

確かに反復というとなんだかあまりクリエイティビティを感じさせませんね。けれども、繰り返しほどクリエイティブなことはないのです。その証拠に、創造的な人ほど同じことを飽きずに何度も繰り返しています。

指揮者の小澤征爾さんは毎日数時間楽譜の読み込みを行っているそうですし、作家の村上春樹さんは毎日同じ時間に起きて午前中の同じ時間机に向かって小説を書くそうです。いずれも判でついたように毎日同じ行動をとっているといいます。精神的巨人に共通しているのは、同じことを何度も反復する能力だと思います。

なぜ繰り返しが大事なのでしょうか。毎日同じことをして、同じものを見ていると変化が見えてくるからです。反復によって知覚のセンサーが鋭敏になって、ちょっとした入出力の差異を読み取れるようになるのです。たまにしか見ないことでは変化を読み取ることができません。毎朝同じ電車に乗っている人だけが、車内の顔ぶれの変化や環境の変化を読み取ることができるわけです。

もう一つは美しいもの、ストレスのないもの、自然に力の湧くもの、敬意を寄せられるものを見ることです。一言で言えば、わくわくするものを探すことです。反対にいえば、醜いもの、ストレスフルなもの、力を減退させるものから距離を置くことです。そうしているうちに、自分が何を見たがっているかがわかるようになります。

――未来を考えるためには、まずは過去をしっかりと見ること、そしてそのためには、日記もいいかもしれないし、自分なりのルーティーンを作ることが重要、ということですね。意識してみようと思います。

後編に続きます。

地に足が付いたイノベーション〜ドラッカーに未来の創りかたの学ぶ(後編)

※本記事の内容は筆者個人の知識と経験に基づくものであり、運営元の意見を代表するものではありません。
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井坂康志

ドラッカー学会理事。文明とマネジメント研究所研究主幹。 ものつくり大学特別客員教授 等 1972年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修了。 世界的なドラッカー研究者にしてその主要な著書を翻訳してきた故・上田惇生氏とともにドラッカー学会を設立し、その思想と実践の研究を行う。2005年、95歳になったドラッカーにクレアモントの自宅でインタビューを行う。これは外国人編集者として最後となる単独インタビューだった。 著書に『自らをマネジメントする ドラッカー流 フィードバック手帳』(かんき出版)、『P・F・ドラッカー: マネジメント思想の源流と展望』(文眞堂)等がある。

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